小田嶋:例えばバンドを組んでいる自分がキーボードでドミソ~♪なんて、ばかな音を出しているとするでしょう。ドミソ自体は大した音じゃないんだけど、バンド全体でいい音が出ていたりすると、非常な達成感があるわけだよ。

 岡の場合のアメフトで言うと、各ポジションのやつがそれぞれの仕事を一生懸命やっている、と。各ポジションの仕事って、ぶつかるだけ、とか、もめるだけ、とか、実はすごくばかな仕事だったりするんだけど、全体から見て、チームがすごく美しく機能している瞬間があると、自分がある部品になっている状態は気持ちいいはずなんだよね。

:確かに陶酔している。

小田嶋:武士もおそらくそうなんだよ。だから役所さんも、内蔵助の忘れ形見のお母さん、というすごい役割に没入している時代は、一種の快感があったんじゃないだろうか。

注・お2人の会話は、役名ではなく、俳優名で行っています。

小田嶋:武士道でよくいう「私心を捨てる」って、「私の心を捨てる」ことでしょう。あれは武士の服務規程というか、心構えであるわけだけど、俺たち近代人以降が使う私心とは違うものだと思うね。近代的自我の文脈からいう私心は、その中に自分の個性があって、才能があって、幸せがある。でも、よくよく考えてみると、実は幸せって個人的なところには、あんまりなかったりする気がするんだよ。

 じゃあ、どこにあるかというと、例えば20日間のトレーニングを無理やりやらされて、苦しい中で走ったら優勝したぞ、とか、そこら辺なんじゃないだろうか。

ユングいうところの集合的無意識とか、そういう感じですか。

小田嶋:そういうところにも通じる。

:型にはめられて機能する面白さも確かにあるけど、そのことが大義とつながっているような幻想が持てるときに、より幸せだよね。

おいおい、そこは泣くところだろう?

小田嶋:「最後の忠臣蔵」でいうと、役所広司が育てた娘の花嫁行列に、大石家の旧家来が次から次へと名乗り出て来たじゃん。感動のあまりに土下座して、花嫁行列に加わって。

:あそこで泣いちゃうんだよな~。

小田嶋:いや、俺は、武士ってばかだな、という感じがすごくしたわけ、あの辺とかは。

:何でだよ。あそこは泣くところなんだよ。

小田嶋:あの映画は、いいところも、面白い場面もあったけど、俺、花嫁行列のところが一番だめだった。だって、昔仕えた主人の娘が嫁に行くのに感動するって、社畜でしょう。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

:いや、あれは仕えた主人の娘が嫁に行くことに感動しているんじゃなくて、役所広司が成し遂げた実行能力に感動しているんですよ。あり得ないミッションを16年もの間耐えたあの男の仕事に。

プロジェクトを完遂した、マネジメントへの賞賛だと。

:そうですよ。だからあの映画はあそこで「プロジェクトX」になっているんだよ。

小田嶋:だからといって、あそこで泣いているのはやっぱり未開人だと思う。

:いや、あとは、やっぱり後ろめたさがあるんだよ。四十七士に加わらず、討ち入りの後で死ななかったという、旧家来としての後ろめたさを生き残ったやつらは感じていて、それらが合い混ぜになっての土下座であり、つまりざんげですよ。

小田嶋:最後に役所広司が切腹するのも、俺はだめだった。

:まあ、切腹するんだろうな、とは思っていたけれど、そのシーンの描き方は僕にしても、ちょっと耐えがたかった。あそこまで執拗に描くことかな、って。

切腹でなければ、どういう結末がありますか。

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