「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2021年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)

 本記事は2011年11月21日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

 前回、映画「最後の忠臣蔵」について語り合っていたら、「武士=社畜説」という、スルドい新説が小田嶋さんから出てきました。その続きを、鋭いまま論じていただこうと思っていたら、徐々にたそがれ感が・・・。

(※課題映画編、前回はこちらから)

以前にこの映画編で盛り上がったアメリカ映画の「グッド・シェパード」(「人生の諸問題」「君は優秀だ」と言われたら、家族を犠牲にしちゃいますか?)は、国家的ミッションが主題でした。今回、お2人が俎上に載せている「最後の忠臣蔵」のお家大事的ミッションも、それと通じるものなのでしょうか。

:うん、「忠臣蔵」と「グッド・シェパード」は似ていると思う。男って、ある程度の大きさの集団になっちゃうと、そういうメンタリティが発動されてしまうんだよ。

小田嶋:でもさ、ミッションって、ちょっと離れたところから見ると、実は矮小なものなんだよね。お家大事で命を捧げます、なんて、要するに社畜として飼われているってことでしょう。「グッド・シェパード」で描かれたアメリカ国家の何とかだって、論じていけば、そんなにご大層なもんじゃなかったじゃない?

:俺なんかは会社を辞めてから、そういう気持ちとは長いこと離れているけど、チームスポーツに関わった時点で、やっぱりそれが蘇ることは否定しない。例えばアメフトで練習に来ないやつがいると、何でお前、来ないんだよ、みたいに怒ったりしているからさ。

小田嶋:俺もバンドをやっていたころとかは、ドラムスのやつが来ないと、「ちょっと、お前だけの体じゃねえんだよ」みたいになっていた。この俺がそういうことを言うかな、ということを言っていましたね。

それって「部品になる」ってこと?

:ただ、「最後の忠臣蔵」と「グッド・シェパード」では、幻想の対象に違いはありますよ。片一方は自分の子供を育ててくれという、武士道とは直接関係ない個人的なことですよね。もう1つはパックスアメリカーナでしょう。だったら後者の方が断然大きいわけですよ。それでいえば、私の子供を育ててくれ、というのはつらいよね。

小田嶋:つらいけどね。

注・「最後の忠臣蔵」のあらすじ
忠臣蔵の物語の陰には、四十七士の列に加わらず、生き延びた親友同士の2人がいた。1人は、大石内蔵助の隠し子、可音を無事に育て上げろ、という使命を担った瀬尾孫左衛門(=役所広司)、もう1人は、四十七士の遺族ケアを託された寺坂吉右衛門(=佐藤浩市)。仲間から卑怯者のそしりを受けつつ、2人は自分の任務に耐え忍ぶ。ああ・・・。

:だから「グッド・シェパード」は、まだやれるような気がしないでもないけど、「最後の~」では、あんな、生まれたての赤ん坊を預けられてもさ…。いや、大変だと思うよ。

実物を手にして、うっ、というのはありますよね。

コラムニスト 小田嶋隆氏(写真:大槻 純一、以下同)

小田嶋:いや、もちろん大変だとは思うんだけどさ。人間がある仕事に全身全霊を懸けて没入するときって、結局、何かの単位になったり、役割になったり、部品になったり、歯車になったりするということじゃないかな、と思うのね。

 それは、武士が武士になることだったり、CIA職員が家族を捨てて職務に邁進することだったりするんだけど、人が人として一番機能するのは、そういう何かの役割とか型とかに、半ば無理やりハマっているときなんじゃなかろうか。

:お前はそういう仕事、やったことある?

小田嶋:俺はそういう仕事をあまりやったことはない。

愚問でした。

小田嶋:ただ、何ていうんだろうな、職業単位として自分は今、お国の役でもいいし、お家の役でもいいし、何かの役に立っているぞ、という感じにハマることは、分かる気はするんだよね。

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