絵に描いたようなおバカですね。

:それは1964年だから8歳、小3のときか。あのときは教師がすごく怒って、黒板に「もうしません」と100回書け、となって。

:「もうしません、もうしません」と書き続けて、最後に「またします」と書いたんだよね。それで、さらにもう100回書かされた。

:教師をおちょくっていたんだよ。悪かった。

:学校は新作のイタズラを試す場所でしかなかったね、兄貴には。ああ、今日もよく暴れた、おもしろかった、と言って帰ってくるぐらいのもので。

学校は敦さんにはどういう場所だったんですか。

:学校がどうこう、というんじゃないけど、小さいころは、よく「退屈だ」と言って泣いていました。

退屈・・・。

:敦が幼稚園に入ったでしょう。幼稚園から帰ってきて敦に、「どうだった?」と聞いたら、「子どもがうるさい」と言っているんだ。

一同:えーっ。

:それで、退屈だ、と言って泣いていたんだから、あれは育てにくかったと思いますよ。おふくろが困っていた。

:ぼくのエピソードは痛快さに欠けるから、話を兄貴の悪ガキネタに戻すよ。小学生のとき、ぼくは広場で兄貴の同級生のニワ君と遊んでいて、相撲をとったら、僕の鎖骨が折れてしまった。

:そういうことがあったね。僕はその場にいなかったけど。

:あのときは、僕がドジったというか、ニワ君は何も悪いことはしていないんだよ。彼は、むしろ心優しい、いい人で。

:すごくいいやつ。

:痛がる僕をニワ君はすごく心配して、「お母さんにすぐ病院に連れて行ってもらうんだよ」と何度も何度も言われ、びえーんと泣きながら僕は家に帰ったんだけど。

:折れた鎖骨が肉の中に食い込んでいるとかで、とんでもない手術になっちゃったんだよね。

弟、兄の「愛」に唖然とする

:40分で終わると言われていたのが、4時間かかった。全身麻酔じゃないから、その間、僕は楳図かずおの漫画のように、ギャーッと泣き叫び続け、それを兄貴は扉の前で震えながら聞いていた、という。

:そばにいた知らないおばさんに、「大丈夫よ」となぐさめられて。

:で、母親には「ニワ君は悪くないんだ」と、僕はひたすら言っていた。それは彼をかばうとかいうのでは全然なく、単に事実だからそういうふうに言っていたんだけど、母親は勝手に感動して、「この子は人を責めない子なんです」みたいに、見舞客には言っていて。

:美談にしちゃっていたね。

:とにかく大変な手術だったので、僕は入院中、ぐったりとベッドに寝ているだけだったんだけど、ある日の夕方、兄が意気揚々と病室に入ってくるわけです。「アツシ、ニワをぼこぼこにしてやったぞ」と(笑)。

:ひどい。忘れたけど(笑)。

:それからニワ君は、僕とは二度と遊んでくれなかった。学校で顔を合わせると、スーッと僕から遠ざかるようになって……。

いや、胸が痛みますね。

市川:いや、それはそれで、本当はいい話なんですよ、きっと。僕自身、兄としてそう思いたい(笑)。

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「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)

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