:それとあと、もうちょっと思うのは、同じ親から生まれて、同じ環境で同じ教育を受けたのに、人間ってこんなに変わっちゃうんだということですね。だって僕と敦は、幼稚園から大学まで同じなんですよ。だから人間形成というのは、環境とか教育とかじゃない。DNAの配列によって、人というのはこんなに、仕組みが違ってくる、という驚きですね。

市川:そのDNAにしても、一番近いDNAのはずなんですけどね。

:そうなんだよ。

:ただ環境については、決定的に違うことがある。兄貴には兄貴がいないんだよ。僕には最初から、こういう兄貴がいる。それは大きな環境の違いだと思うよ。

:そうなのかな。

実は大きな環境の違いがあった、と。

市川:兄は弟からフィードバックを受けない…のかな。

:市川先生も弟がいる兄でしょう。受けた?

市川:おそらくあまり受けてないんでしょうね。

:弟からは受けないよね。

空っぽさに気づく視線として

市川:敦さんの本で言うと、僕は3の『悪霊』の章が一番好きなんですよ。革命運動 を組織する活動家、ピョートルの例が引いてありますよね。そんなピョートルに対して「ところが彼は空虚なままだ」と敦さんは書いていますが、兄というのはまさにピョートルのように、人生の本質に存在するある種の空虚さを、見ないことにして先に進みがちなんです。それでどんどん先に進むんだけど、ふっと立ち止まったとき、弟がじっとこっちを見ている…それに気付いたとき、自分の空虚をハタと思い知る感じがするなと。

岡康道さん

:そうなのよ、そういうところはあるんだよ。

市川:だから、僕もそうでしたけど、岡さんもこの本を読んだときにどこかショックを受けたんじゃないかと。

:傷付く個所が何カ所かありますけれど。

市川:やっぱり。

:それを人前では言いたくはありません(笑)。

市川:僕も、自分の弟について、敦さんに投影するようにしみじみと思い出して、「兄の空虚さ」を反省させられました。

:ある意味、弟的な文章なんですかね。

市川:たぶんそうなんだと思います。

岡さんは「兄弟でこんなに違う」とおっしゃいましたけど、私から見るとお2人はそっくりです。

市川:そうなんですか?!

:どこが?

:んん? ……そう言われてみれば、「材料は同じ」という感じはするかも。

:話がすごく嫌な感じになってきた(笑)。

料理次第でまったく別の皿になる

:冷蔵庫の中にあるもので料理を作れ、と言われて、開けて残りものを見る、と。

市川:料理の素材は一緒で、と。

:そう。それで兄は格好付けてイタリアンを作り、僕はうまければいいやと、丼モノを作った、みたいな。最終的にできあがるものは全然違うんだけど、よく見ると、あ、あいつはあの材料をこう使っている、とかね。それは分かる感じはありますね。

市川:言われてみれば、本だって1冊を兄弟で回し読んでいた、とおっしゃっていましたしね。

:「これを読めば、おまえも少しは大人になれるだろう」なんてもったいぶって、兄貴から本を渡されたりして。でも、今聞いてみると、兄貴自身はその本、読んでないじゃないか(笑)。

:だってカントとか、ヘーゲルとか、読めないよ。途中でさ、「もういいや、これ、分からないや」となって、だから敦に渡す。読んだふりをしてね。

:ああ、なんていいかげんな兄だ(笑)。まあ、子どものころの兄貴にとっては、人生はふざけるためにある、って感じだったのかも。学校なんて、冗談を披露する舞台ぐらいにしか、思ってなかっただろ。

:そうだよ。

:テストのときは、学年を書く欄に1964年と書いてたし。

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