市川:今度は90年代になるんですね。

:90年代になってバブルがはじけたら、今までの広告は間違っていた、ということに当然なる。本当はそうじゃなかったんだけど、反省しよう、ということになって、佐藤雅彦さんが作る商品名だけを連呼するCMとか、僕が作る、商品とは直接何の関係もないじゃないか、みたいなCMが、むしろ正しいんじゃないか、というふうに、時代が切り替わってくれたんですね。僕のCMは、「何だこれ、暗いじゃないか」みたいに、いろいろ批判はされたんだけど、僕はバブルがはじけてくれたおかげで、作り手として生きていく場所が出てきた。それは計算というよりも、やっていたらそうなったんだ、ということですね。そうしたらあとはそれをうまく運用して。

出た(笑)。

:以下はもう、そういう場所を作っていって、そういうクライアントを見つけていって、そういうブランドを作っていくだけだ、と。たとえ僕の作る広告が一見暗く見えても、クライアントのブランドイメージや売り上げには、いい影響を及ぼすであろう、というような仮説の下にやっていくだけですよ。だって、広告って結局、結果が証明されないんですからね。

市川:どれだけが広告の力だったのか、とかの明確な数字は出ないですよね。

:商品の売り上げには、流通もあり、競合の動きもあり、といろいろな要素がかかわってくるでしょう。広告表現と売り上げの因果関係って、計測不可能なんですよね。

神田川を渡ったら、踊るしかない

:人生は時代に影響されるよね。浅田彰だって生まれたのが10年早かったら、もっと普通のというか、ひたすらアカデミックに優秀な学者になってたかもしれませんよね。20代の時期が80年代に当たっちゃったから、もう踊るしかない、と。踊りが好きでも嫌いでも、踊って見せるしかないという感じだったかも。

 僕だってそんなふうに思いましたもん。70年代の終わりには、イスに座って考え込んでいること自体が「思想的に間違っている」みたいな感じがあって。それまでの様式はもう通用しないというか、おそろしくカッコ悪くなったね。

:歌で言えば、『神田川』からYMOに変わったんですよ。

市川:それは大きいですね。

:みんなが一番好きだったのは『神田川』だったわけ、早稲田は特に。そこからYMOというのは、ものすごい飛躍だよ。

市川:岡さんも『神田川』が好きだったんですか。

:好きだった。でも80年代に入ったら、みんなYMOを聞かなくっちゃ、みたいになったんだから。これは、全然違うぞ。

市川:80年代といえば、敦さんのプロフィールを拝見すると、イラストレーターとしてやまもと寛斎のパリコレの招待状や、国内ブランドのテキスタイルデザインなどの仕事をされていますよね。それこそがまさに、「踊って見せるしかない」時期ですか?

:それは83年ぐらい?

岡敦さん

:やまもと寛斎の仕事は85~86年ぐらいかな。

:敦は「第1回日本グラフィック展」に入選して。

:グラフィック展は1980年かな。そのときは、友だちに「オレ、こんなに絵がヘタなのに『グラフィック展』に入選したんだぜ」と、冗談で言っておしまいだった。仕事のきっかけになっているのは、その後の『イラストレーション』誌の「チョイス」入選ですね。

:日本グラフィック展からは日比野克彦が出ているんだよね。

:うん。第3回かな。そのころは、みんな絵を描きまくってたね。好きなように描いて、それを発表する場ができたと思って。

 もともと絵を描くのが好きな人が美術に関わるわけでしょう。ところが、70年代には、本気で美術に関わろうとしていろいろ勉強していくと、みんな、今、絵を描くなんて理論的に正当化されない、みたいな面倒くさい結論に行き着いてしまう。物語が好きで文学に関心を持ったのに「今は物語を書いてはいけない」とかね、70年代にはどのジャンルでも同じようなことがあったと思うけど。好きなことを最先端まで突き詰めようとして、かえって何もできなくなってしまったんだよ。

:それはつらいね。

実は読んでいませんでした

:それで、絵を描きたい人は、美術界へ向かわずイラストレーションに向かったりしたんだ。そのころのイラストレーションって、「デザイナーに素材を渡す仕事」って言うんじゃなくて、「ここは好きなように絵を描いていい世界なんだ」って感じがあったから。

 そのころ、ちょうど美術界でも、ドイツだったらネオ・エクスプレッショニズム、アメリカだったらニューイメージペインティングとかグラフィティアート、イタリアだったらトランス・アバンギャルディアが注目されるようになって……。

:いやいや、また話が全然分からなくなってきたよ(笑)。

ちょっと狭くなってきたようですので『強く生きるために読む古典』に戻しましょう。岡康道さんと市川先生は、このラインナップでどこが面白かったですか。

※『強く生きるために読む古典』のラインナップは以下です。

はじめに 『資本論』(マルクス)

1 『失われた時を求めて』(プルースト)

2 『野生の思考』(レヴィ=ストロース)

3 『悪霊』(ドストエフスキー)

4 『園遊会』(マンスフィールド)

5 『小論理学』(ヘーゲル)

6 『異邦人』(カミュ)

7 『選択本願念仏集』(法然)

8 『城』(カフカ)

9 『自省録』(マルクス・アウレーリウス)

:僕はほとんどは手に取ったことがある、あるいは自分の本棚に入っているんだけれど、ちゃんと読んだのは2~3冊しかないです。でも、これは一般的な読者の立場だと思うんですけどね。ただ、僕は一般的な読者というよりは、兄という特殊な立場にいるので、「家族というのも底知れぬものだな」というのが、一番強く思った感想ですね(笑)。敦はこんなに悩んでいたのか、というようなことに驚いたし、近くにいても人っていうのは分からないもんだな、という。

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