小田嶋:涙をのんで捨てたという。そうしたら今度はiPodが出てきちゃって。
岡:ふざけんな、と(笑)。
小田嶋:それでCDにもすごく未練があったけど、結局、iPodで音を聴けちゃうと、やっぱりCDって邪魔だな、って。
岡:でも、今またレコードをかけて聴いてみると、やっぱりこっちがいい、みたいな話もあるじゃない。
小田嶋:ありますね。
岡:レコードを捨てちゃっていたら、もう聴けないんだよ。
小田嶋:いや、あれは意地を張っている人たちがそう言っているだけだ、と俺は分かったね。人口の中の0.5%ぐらいですよ、アナログの方がいいって言い張っている人たちは。やっぱり音楽は一度、楽にいい音で聴いたら、後戻りはできなくなりますよ。
データはみんなのもの、調べるのは誰かのお仕事
岡:でも、ここまでの話は記録媒体としての本とiPadの話だから、コンテンツそのものについては、実はそんなに致命的じゃないと思うんだよね。結局それは、受け手の側の慣れの問題と、流通のときの商品の問題じゃないか。
小田嶋:そうだよね。だから俺が薄々と問題意識を持つのは、iPadそのものじゃなくて、ウェブというものだよね。今は、このウェブの上に、クラウドコンピューティングと呼ばれるような、データが共有されているネットワークができているでしょう。
岡:それはどういうものなの?

小田嶋:誰かが取材したものだとか、記録したものだとか、辞書だとか、知識だとか、学問的業績だとかが、自分の本棚になくてもウェブ上にあって、いつでもアクセスできるんだからいいよ、という建前になっているじゃないか。
例えばルポルタージュみたいなものの鉄板の文法というのは、「私は○○に興味を持ちました」という書き出しで、それで取材に行ったり、調べに行ったり、人と会ったりで1冊の本になる、というものだったんだけど、今はその「調べてみた」というのが「ググってみた」になっちゃっているから。
岡:本当のことを調べるために、ウェブは適切ではないだろう。
小田嶋:ググることや「ウィキペディア」を疑って、第1資料に遡っていかなきゃいけないんだけど、そういう努力というのを誰も顧みなくなってくるような気がしているんだよね。だって「グーグル」って検索ヒット順になるでしょう。それで、たくさん検索されたものが本当の話だよ、って流れにどうしてもなっていくじゃない。
岡:そうすると、人気のあるデマのランキングというものでしかあり得なくなる。
訂正する前に、事実になっていた
小田嶋:「日経ビジネスオンライン」で俺がコラムを書いたとき、心ないうわさが上がって、そのときに俺の年齢が1歳間違って載っかったのよ。つまり、52歳だったのに53歳という表記だったんだけど、それ以降、どこを探してももう53歳で確定していた。
岡:不快に思っている間に、本当に53歳になる、というところが、また微妙だけど(笑)。
小田嶋:俺なんかは歳の1個だけの話だけど、もっと別のまことしやかなウソ情報がどんどん流れちゃって、取り返しがつかなくなったりする人たちがたくさんいるわけだよ。それってウェブでは訂正不可能でしょう。
岡:少し前だったら、間違ったことを書かれた、ということで、○○新聞なり、「日経ビジネス」なりに抗議します、でよかったんだろうけど。
小田嶋:でも、ウェブでは辿りようがない。
岡:それはまったく無理だよね。
小田嶋:誰かが書いたブログが人気になりましたよ、で、その引用、引用で、別の誰かの文章がまた上がっていって、「グーグル」の10位全部に「オダジマ某は53歳だ」って書かれたら、もうそれ以上はどうしようもない。
岡:昔はそういうのをジャーナリストという職業の人が検証していたんだと思うんだけど。
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