本記事は2010年9月13日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

「人生の諸問題」単行本第二弾『ガラパゴスでいいじゃない』発売記念連載、前回は、「iPadの登場で失われたもの」というテーマを設定していたのですが、その前に話が「人生で失われたもの」の方向に行ってしまいました。今回は、iPadに戻したいと思います。

「人生の諸問題」単行本第二弾『ガラパゴスでいいじゃない

:そうそう。iPadで失われたものね。iPadというのは、今まで本を読まなかった人が、これで読むようになる、と言われているけれど、本当だろうか。今まで読まなかった人たちが、これによって本を読むなんてことはない、と僕は思うんだよ。

小田嶋:ないよね。

:読むとしたら、もともと読書が好きなやつが、どこかにたくさん本を持って行けないときに、これがあると便利だ、というぐらいのものだと思う。

小田嶋:ヘビーユーザーの方が、じきに買うようになると思うよ。要するに、たくさん読む人たち。家の中が本だらけで困っている人たち。

:そう、そっちだよね。

小田嶋:同時に、iPadに一番抵抗があるのも、今まで紙でたくさん本を読んだ人たちで、こんなぬるぬるしたもので読めるか、というのはあるだろう。

:僕の家には、昔からものすごく本があるんですけど、子どもが小さかったりすると、本棚の3段目ぐらいまでは、ぼろぼろにされてしまうでしょう。僕は最初、そういう事態に遭遇したとき、すごく怒って、幼児の能力では絶対に取れないように工夫したんだよ。

小田嶋:上の段に置くとか。

樺美智子、ふたたびの悲劇

:いや、上の段だって本でぱんぱんなわけだから、そこには置けない。それで下の段にさらに本をぎゅうぎゅうに詰めたりしていたんだけど、ぎゅうぎゅうに詰めていると、幼児というものは、今度は背表紙をびりびりに破くんだよ。その破かれているものが、吉本隆明の『情況』とかであったり、樺美智子さんの本とかであったり。

小田嶋:・・・・・・お気の毒に。

:そう、2度目の死というか、かわいそうなんだ。いやいや、そんなことをいっている場合じゃなくて、最初は怒ったんだけど、よく考えたらこれらを僕はずっと読んでないんだな、と。ただ、捨てられないから、何10年にわたって本棚にしまっておいただけで、だったら本って別にぼろぼろになっちゃったっていいのかな、って思って。

コラムニスト 小田嶋隆氏(写真:大槻純一、以下同)

小田嶋:本って、特にたくさん持っている人ほど、もう二度と読まなかったりするよね。

:そうそう。二度と読まない。

小田嶋:そういう本棚が俺たちにとって偉かったり、神々しかったり、というのは、あれはどういうことなんだろうね。

:僕たちの青春時代は、活字の中でもハイカルチャーというようなものがあって、「朝日ジャーナル」とか、埴谷雄高とかを読むことが、ある種のプライドになっていた。俺は貧乏でカッコ悪くて、特に取り得も何もないんだけど、埴谷雄高を読んでるのよ、みたいなことで、ぎりぎり若者として表に出ていける、というようなものがあった。

小田嶋:70年代はね。

:絶対にあったんだよ。それが80年代になってから、そんなのは読んだって意味ないよ、と、何もかもがサブカルチャー化していったじゃないか。若いやつが読んだ、難しくて意味がある本というのは、浅田彰が最後ぐらい?

続きを読む 2/4 二度と読まない本を取っておく理由は

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