本記事は2014年7月1日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

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お2人が通った1970年代の東京都立小石川高校は、旧府立五中時代からの「教養主義」が掲げられ、リベラルな勉学環境が用意されていた……はずでしたが、岡さんと小田嶋さんが導かれた場所は、教室ではなく雀荘でした。

:ははは。

小田嶋:建前としての教養主義を行く道と、その建前ゆえに、ずるけていく形の道とが、ふたつに分かれていたんだよね。

:「うちの高校は受験教育ではなくて、教養主義なんだよ」ということは、僕らにとっては「勉強しなくていいよ」という意味になる。だって「受験の役に立たないかもしれないけど、今はともかく勉強しろ」なんてことは、そもそも無理じゃないですか。

そういう理屈を持った高校生の目の前に、いい感じで雀荘があったんですね。

:物理は出席を取らないから、出ないでいいよね、じゃあ、外に行こうか、と裏門を出たところに、ちょうど雀荘が用意されていた(笑)。

この隣だったらしいです

小田嶋:徒歩にして10数歩。この雑居ビルの2階ね。なつかしいね。おまわりが来るぞ、という情報が来たら3階に避難してね。

:そうそう、ちゃんと避難部屋もあったんだよ(笑)。ただ、大人になって、こうやって思い出すと笑えるけど、でも、やっている時に、高校時代がすごく楽しかったのかというと、そんなことでもないよね。

小田嶋:むしろ苦しいような感じがしたけどね。後で振り返るから、よかったような気がするだけで。

:憂うつでしたよね、毎日。

何が憂うつだったんですか。

悩みの正体は、今考えると進学だった!?

:何だろうな。中学時代だって憂うつだったけど、そのころはまだ、憂うつとか考える権利すら持ってないじゃないですか。

小田嶋:こういうことを認めるのはしゃくだけどさ、やっぱりプレッシャーがあったんだと思うのよ。いい大学に入らなきゃいけない、と心のどこかで思っているんだけど、それが全然実現できないということと、だからって勉強を始めちゃうのも格好がつかないし、ということで、どうにも出口がない感じだったんだと思う。

:そんなくだらないことで悩んでいたと思いたくないんだけど、おそらくそれだよね。友人の自殺とかもあったりして、人間存在の意味とか、自分はもっと抽象的なことで苦しんでいると思いたいんだけどさ。

小田嶋:当時は進学で悩んでいるという自覚はないよ(笑)。

:ないよ。

小田嶋:だから太宰治を読んでいたり、もっと難しいカミュとかを読んでいたりするわけだ。俺は今、すごく抽象的で哲学的な煩悶の中にいる、と本人は思っているんだけど、後々振り返ってみると、受験で悩んでいたんだな、と。

:その割には、あまりにも勉強しなさ過ぎじゃない。

小田嶋:すりゃあいいんだったらするけどさ、でも、勉強しちゃうと格好がつかないんだよね。

お2人とは別に、高校生ライフをちゃんとエンジョイしている人たちだって、いたでしょう。

小田嶋:そういう人たちも全然いましたよ。そういう部分は、クラスによってまるで違っていて、何かと仲良く、一緒にわいわい帰るだとか、ハイキングに行くとか、青春なところもありましたよ。俺は、うらやましがりながら、ばかにして「あそこは青春クラスだからな」なんて言っているわけよ。

続きを読む 2/5 つまんねえな、と外を向いた

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