:だから、そういうメディアの発達が、人を不幸にしたようなところもあるよね。つまり、ごまかせないというか、ウソが少なくなるというか。ウソって生きていくのに必要なものなのに、もうウソをつけないぞ、みたいになって。その視点から見ると、携帯電話って普及しないほうが幸せだったのかもしれませんね。

吉田:でも、岡が言っているシチュエーションは、僕らが小さいころから携帯電話を持っていれば、避けられたミスだと思うよ。

:……そうだね。でも、このミスはかなり多いと思いますよ、広告業界では。

吉田:それは長い間、普通の固定電話しか使っていなかったから、携帯電話を使うマナーとか常識がなかったんだよ。なのに意気揚々と使っちゃったがために、困った事態になったわけでしょう。油断ですよ。まあ、よく聞いたよね、その手の話は(笑)。

テーマに戻って、そもそも10年前にブランドについて2人が話をしようと思った動機は何だったんでしょうか。

「病」はいかに生まれたか

:僕と吉田は電通の同期で、新人研修のときに同じ班だったんです。そこからよく話をするようになって、「広告業界において、この状況はまずいだろう」という言葉は入社して10年くらいたったころから交わしていたんです。でも、それをきちんと整理する機会がなかったので、会社を辞めたことを機に話してみようかな、と。

ブランド』『ブランドII』(2004年)をあらためてひも解くと、岡さんが挙げた問題設定は鋭いですよね。たとえばクライアントや広告会社が抱える課題を、「事業に志がないという病」「長期戦略を持たない病」「方針が頻繁に変わる病」「効率を考えるが効果を考えない病」と、病気に仕立てたわけですが、その問題設定は11年たった今でも、ほとんど変わっていないんじゃないかと思います。

:そうですね。本質的なところですから、そう簡単に変わらないでしょう。

吉田:病に分類したことは、確かに岡の功績だよね。「病」って言われるとドキリとするじゃないですか。それでいて、そこはかとなくユーモアも漂う。岡って病気が好きなんだよね。だって健康診断マニアですからね。

:いや、「病」に分類したのは、やっぱりたくらんでいるからだよ。「タレントが好き、という病」「みんなに好かれたいという病」「あれも言いたい、これも言いたい病」「ブームに乗りたがる病」…こう言われると、僕らも含めて、みんな、胸に覚えのあることばかりでしょう。

吉田:それで、この病は結局、クライアントというよりも、広告業界の病として、より根深いんだよね。

これは広告が元気だった1970年代、80年代にはなかった病ですか。

:なかったというか、そもそもブランドという言葉が流通していなかったから、病自体もなかった。

吉田:当時は病のままでうまく行っていたんですよ。だってあのころは、タレントが好きだから、タレントと一緒にハワイに行こうというキャンペーンを企画して、それがそのまま当たったとか、そういうことが普通に起こっていたので。

だったらそれは楽しそうな病ですけどね。

吉田:そうね、あのころはみんな、楽しい病にかかっていた。

ここに来てそれが苦しい病になったのはなぜでしょうか。

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