まあ、いいじゃないですか。というより、「このあたりで、ちょっと真面目な話をしておかないとまずいよね」ということは、「人生の諸問題」がスタートしたときから、ずっと続いている課題なのです。
岡:あと、小田嶋とはもう話し飽きたな、と。マージャンをやるぐらいでいいかな、と。
たまには中2病ではない方向での対談もしておかないと。
岡:そうそう、ですから今回は全然、中2病ではない話です。
ということで、岡さんが抱いている問題意識から鋭意うかがっていきたいのですが。
岡:ん? 問題意識? いや、特に問題意識なんてないんだけどさ。
……(いきなり挫折)。
吉田:(引き取って)これは本を書いたときの問題意識にも通じますが、本を出した2002年の時点では、広告というものは、企業がメディアを通じて消費者に何かを訴える、という構造だった。しかしインターネットが急激に浸透した以降は、本当にメディアをとりまく状況が変わりましたよね。
僕は90年代から、ネット以降のメディア状況の予測を、かなり専門的に手がけていたのですが、ネットの浸透は別にして、マスメディアがこれほど停滞するとは、僕にしても思わなかった。
10年前のインターネットは、どんな地平に見えていましたか。
ネットは「ちょっと変わった人のもの」だと思っていた
岡:僕が感じていたのは、ネットは変な人――というか、ある限られた人がやるものとして発展するんだろうな、ということ。だから、自分はやらないだろう、と思っていましたね。火がつくほどの強い酒が好きな人の層、みたいな感じで、この先ずっと残るけど、僕には関係ない、という印象でしたよ。
趣味性が高くてニッチな領域のイメージですね。

岡:それで、ちょっとカッコよくて、というようなね。だけど今は、僕の80歳の母親なんかも、毎日ブログを更新しているというんだよ。だから、僕の予想とは全然違うものになっちゃった。
吉田:超大衆化して、僕たちの日常の当たり前のインフラになったよね。
岡:今は中学生にしても、本は読まなくてもネットは見ているわけだから。正直に言って、そんなになるとは、まったく思っていなかったですね。
吉田:僕は黎明期からブログを書いていたんだけど、そこにアクセスしてくれる人も含めて、そのころのネット界は、やっぱり特別な領域という感じはあったんですよ。でも、今は全部、グーグルなりで一瞬のうちに検索が可能になり、特別なものではなくなった。
そうなると今度は、過去のことがすべて検索できるという恐ろしさの方が浮上してくる。人間の記憶だったら忘却があるけれど、ネットには忘却はない。怨恨とか嫉妬とか、ネガティブな感情はずっと続くし、個人の失言や、企業の不祥事もいつまでも記録され続ける。そういう意味で、僕らはかなり恐ろしい社会に来てしまったな、という思いがありますね。
岡:昔は人生なんて、都合のいいように語れたんですよ。でも今は、それがそうでもないよ、というふうになっちゃって。
吉田:かつてのブランドブームのときに、企業のCI(コーポレート・アイデンティティ)刷新というのも流行ったよね。企業が生まれ変わって再出発したいと思ったときに、社名とロゴを一新して、それを広告すれば、過去のことはみんな忘れてくれるでしょう、と。でも、今はそういうことも難しくなっているよね。
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