津田:その中身がデジタル化されると、こんなに簡単にコピーされて、流通してしまうんだ、という衝撃を、Napstarが世の中より一足先に体験させてくれたわけです。
小田嶋:俺はNapstar以前、1990年代の初めぐらいから、もうインターネットに入っていて、掲示板だったり何だったりに触っていましたが、そのころは不便なパソコン通信みたいな感じで、やることはだいたい文字ベース。たまに写真が見られたりすると、すごいぞ、と盛り上がって。つまり、サークルの交換ノートレベルのことしかやってなかったわけですよ。
それが、インターネットの時代になって、世界中とつながれるんだ、すごい、となったんだけど、Napstarになると、うわ、物が流れてくるんだ、という、それまでとは比べ物にならない衝撃がありました。
津田:僕はNapstarに触れて、インターネット誌をはじめとする雑誌バブル自体が、もう長くは持たないと思ったんですね。そのときに、このメディアの大変革そのものが面白いんだから、これを当事者として取材しようと思って、それこそ「日経ネットナビ」で3年間、デジタルやコンテンツ関連の新しい動きがあったらいろいろ取材させてもらいました。ネットナビには感謝してもしきれませんね。アングラ雑誌の「ネットランナー」なんかでも書いてましたけど、あっちは取材はなかったですからね。物書きとして大きく成長させてくれたのはたくさん取材させてくれて、編集も厳しかった日経BPの仕事ですね。
小田嶋:2002年ぐらいになると、インターネット雑誌がばたばたつぶれていったでしょう。
津田:はい。つぶれた理由は明確で、2つあるんですね。インターネットの常時接続の普及と、「Google」の普及です。つまりみんな、ネットのことはネットで調べて何とかするという時代になっちゃったので。
小田嶋:そうですね。
「3年のタイムラグ」で、生きる道を見つけられた
津田:ただ自分にとっては、Napstarがもたらした情報環境の変化が出版業界まで影響を出し始める3年のタイムラグの時期を、とても有意義に過ごすことができたんですね。その命題に関する知見や考え方を、あの時期に集中的に学べたのは本当に良かったです。
小田嶋:新しく到来したインターネット世界で起こっていることを、一般の人に説明できる人材というのが、その当時は払底していたわけですよね。あれってすごく説明しにくいことが起こっていたわけだから。
津田:まさにおっしゃる通りで、なんでNapstarが面白いかと世の中が思ったときに、Napstarのことを語れる人が、ほかに誰もいなかったんです。
小田嶋:そのときって、インターネットに詳しい技術系のライターは死ぬほどいたんですけどね。
津田:一方で、音楽ライターも死ぬほどいるじゃないですか。でも、両方に詳しくて、両方を組み合わせて、どういう文化的なことが起こるのかについて書けるやつがいなかったんですよ。
小田嶋:なるほど。津田さんのことを誤解している人たちは、いまもたまにいて、「津田なんていうやつは、NapstarとかWinMXで非合法ファイルをずっとやっていたアングラライターじゃねえか」って。
津田:まあ、やっていましたから、誤解じゃないんですけど。
小田嶋:あ、そうなんですか。
津田:実際にアングラ雑誌にも書いていたわけですからね。それも別に自分から手を挙げて書いたわけじゃなく「新規で来た仕事は断らない」というルールでやっていたのでそうなってしまったという。
Powered by リゾーム?