「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2021年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)
本記事は2014年1月21日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
(日経ビジネス電子版編集部)
(前編はこちら)

1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。大阪経済大学客員教授。J-WAVE「JAM THE WORLD」ナビゲーター。 NHKラジオ第1「すっぴん!」パーソナリティー。主な著書に『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)、『動員の革命』(中公新書ラクレ)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『Twitter社会論』(洋泉社新書)、ほか。2011年9月より週刊有料メールマガジン「メディアの現場」を配信中(公式サイトはこちらから)。(写真:大槻純一、以下同)
津田:僕は、Napstarによって相当人生を変えられたところがあります。ちょうどフリーライター2年目ぐらいのときで、「音楽がただで手に入るなんて、すごい時代になったな」という感慨と同時に、「いや、これ、自分の職業、やばくね?」と思ったんですね。
だって、ネットが勝手につながって音楽なり、文章なりが流通すると、俺らフリーライターの書いている原稿とかは、たぶんタダになっていくぞ、と。
小田嶋:津田さんの、ライター・デビューは何だったんですか。
津田:毎日新聞社の子会社の毎日コミュニケーションズが出していた「PC Fan」の、1ページのレビュー記事でしたね。よく覚えていますよ。だって、その数カ月前に毎日コミュニケーションズの就職試験に落ちていましたから。
小田嶋:最終で落ちるというパターンのやつの1つですか。(注:これは前編を参照)
津田:落とされ方が悪かったんですよ。だって、毎日新聞本社ビル最上階にある高級なレストランに「ハンコを持って来てください」といわれたので「あ、これはもう合格内定で、意思確認だな」とか思うじゃないですか。で、そこに行ったら、社長面接だった。
小田嶋:ハンコ持って来てくださいといわれたら、最終面接とは思わないですよね。「これで決まりだな」って。
津田:でしょう?
小田嶋:就職試験の面接って、最初は30代の平社員が見る感じだけど、最終面接になると、40代から上の、部長だったり、管理職だったりが出てきたりするじゃない?
津田:場合によっては役員が来たりしますよね。最終面接で「キミは雑誌編集希望とのことだけど、うちは雑誌編集業務だけじゃなく、営業もあるし、就職事業もやってる。そういうのに興味はないの?」って聞かれて、「いやー、まったく興味ありません! 雑誌が作りたいです!」って明るく答えたら落とされました(笑)。
実はオダジマもバンドをやっていた
小田嶋:それで、役員の見る目が正しいのか間違っているのかはともかく、役員の目から見ると、津田さんなんかは、ちょっといけない人なんだよ(笑)。
津田:どうしてもそこで拭えない北区臭が香ってしまうんでしょうね(笑)。(→このあたりも前編で)小田嶋さんのライター・デビューはどんな感じだったんですか。
小田嶋:私は『親子で学ぶパソピア7』の単行本を最初に書いたのが大きかった。当時はパソコン誌がどんどん創刊されていたのに、そっち方面のライターなんかいやしなかったから、声が掛かったのかな。
津田:『パソピア7』を書いたきっかけは何だったんですか。
小田嶋:あれは、それこそ津田さんじゃありませんが、バンドをやっていて。
津田:ちなみに小田嶋さんのパートは何だったんですか。
小田嶋:俺はキーボード。ちゃんとソロを取るんじゃなくて、音を厚くする係ってあるじゃない? それで、ドミソ~♪なんてやっていた。
津田:はいはい。コードで、ストリングスにしてね。
小田嶋:そうそう。ストリングスの音にして、シェーン~♪みたいなのがあるじゃない。それでドミソ~♪ ドファラ~♪みたいなやつをだいたい裏でやってましたけどね。基本的には本業は作詞家だったんですね。
津田:作詞家!
小田嶋:そのバンドで一緒にやっていた人が、ある銀行の電算室のやつで、当時、バイトでパソコンの入門書をたくさん書いていたわけ。
津田:へえ。
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