小田嶋:藤沢周平の描写力、文章の力というのは図抜けていると思う。

:図抜けているよね。

小田嶋:だから30年後とか50年後とかで、司馬と藤沢と、どっちが残っているのかといったら、藤沢周平の方が残っているような気がする。

:そういうのを読まないのか、若者たちは。本当は宝の山だけどね。

小田嶋:ただ、日本の特に私小説の系譜ってあるじゃない? それは全体的に湿っぽくて貧乏臭くてひがみっぽかったりする。俺はそういう風味がとても好きじゃなくて、だからフィリップ・ロスとか、グレアム・グリーンとか米英系のドライな方面を志向したのね。だって、何が嫌いかというと、田山花袋のあの、すごく貧乏で、下宿の布団の中にこもってうじうじ考えているみたいな感じのそういう文学。

湿度が高くなるのが文学か?

:あるね、湿っぽいの。

小田嶋:そういう味がないと文芸じゃない、と思ってる一派の人たちが当時の日本にはいて、今でも国文方面なんかをやっている人たちって、そういう気持ちがあると思うのよ。

:なにしろ『蒲団』だからね。

小田嶋:『蒲団』と『田舎教師』。並びでもうだめでしょう。

:これ、念のために言っておくけど、タヤマハナブクロとは読みませんからね。タヤマカタイですからね。

きっと岡さんがハナブクロと読んでおられたんですね。

:失礼な。そう読んでいたのは、アメフトチームのやつらでしたよ。合宿に行って熱を出したやつが、カイネツザイ、カイネツザイ、と探していましたからね。

小田嶋:アメフト部なら漢字が読めただけでもいいよ。それで春樹問題に戻るけど、田山花袋の系譜の人たちにとって、村上春樹というのは、とりわけ嫌われるんだよ。それはなぜか、というのは、村上春樹ってすかっとしてるじゃない? あんまりうじうじしてないし、貧乏臭くないでしょう。

:うじうじしていない、という部分はどうかとも思うけど、貧乏臭くはないね、まったく。

小田嶋:不思議なのは、村上春樹の登場人物って、設定は貧乏でも、趣味が全然貧乏じゃないのよ。だって『1Q84』のあいつだって、予備校の講師にすぎないくせに、ちゃんとコーヒーは豆を挽くわけだよ。

貧乏だけど、貧乏くさくない主人公たち

主人公の天吾ですね。

:あと人妻のガールフレンドがいる。

小田嶋:そうそう、いるんだよ。普通さ、週3日予備校で講師をやっているという設定であれば、考えてみたら月収は十何万円とかでしょう。それでさ、

:人妻は無理だよね。

小田嶋:人妻は無理だし、コーヒーだって、インスタントがいっぱいいっぱいでしょう。豆を挽いて、そういうすてきな生活をして、なんてできっこなくて、もっと嫌な生活になりそうじゃん。でもあいつの小説の登場人物って、みんな結構なご身分なのよ。

:すてきだよね。ジャズ喫茶に通い詰めていたりしてさ。

小田嶋:あいつ自身が貧乏をしたことがないんじゃなかろうか?

いえ、巷間伝えられているには、学生結婚をして、就職をしないでジャズ喫茶を始められたので、貧乏のご経験はとてもある、とのことです。

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