津田:大学4年の最後の方から、ライターの仕事をアルバイトで始めていたんですが、大学5年の1年間は、2コマの授業を月曜日に固めて、あとは働く、みたいなパターンだったんです。

小田嶋:津田さんのプロフィールなんかに「大学在学中からライターの仕事を始める」なんて書いてあって、あれ、ちょっとカッコいいな感があったけど。

津田:当人は卒業する気満々で、それでライターの仕事を始めたら、留年してしまって、「在学中」からやらざるを得なくなったという、ひどい理由なんですよ。嘘はついてないんだけど、結果的にそうなっただけという。

小田嶋:プロフィールをちょっと修正してもらわないとね。で、話を戻して、1993年入学で、大学生で音楽をやっていたんだ、というと、Macがないとだめじゃなかったですか。

津田:いや、そのときは(PC-)98でしたね。

小田嶋:98でもできるんだ。

津田:細野晴臣さんとか戸田誠司さんが使っていたレコンポーザという98の打ち込みソフトでしたね。TM NETWORK時代は小室哲哉さんも使ってたかな。

小田嶋:ああ、そうかそうか、DTMの打ち込み系の、ピコピコした感じのやつでやっていたんですか。

津田:そうです。ひたすらテンキーで入力をしていくという。それで打ち込みのソフトとMIDIのインターフェースを買って……とやっているうちに、あ、パソコンって面白いじゃん、となって、MS-DOSのCONFIG.SYSとかを自分で書くようになって。「環境設定命! 使用できるメモリがこんなに空いた!」みたいな。

 僕は仕事でWindowsマシンのLet'snoteを使っていて、よく人から、「あれ、Macじゃないんですか」と言われるんですけど、最初にMS-DOSから入っちゃっているから、もうそれに慣れちゃっているんだよ、という。

小田嶋:確かにあの当時、若干オタク方向の人たちはむしろ98だったですよね。それで、金があって、デザイン方向の人間とかがMacで。

北区に優しかった池袋、そして故・堤清二氏

津田:それについてはいうと、池袋の影響が大きいですね。北区文化圏の人間として池袋って街はとても重要じゃないですか。

小田嶋:そうです(断言)。

津田:で、池袋の西武の9階にパソコンコーナーがあって。

小田嶋:ああ、はいはい。

津田:あそこは、伝説のパソコン少年たちの聖地になっていた。任天堂の岩田聡社長とかが若いときに常連で通っていて、ずっとプログラムを書いていた、みたいな。

小田嶋:そうそう、あのデパートは、そういうところで。そのころ俺が池袋西武を歩いていたら、パソピア7が置いてあって、エンドレスのデモで、俺が作ったデモ用キャラクター、パソ子が動いていた。

津田:えーっ! すごいじゃないですか!

小田嶋:『親子で学ぶパソピア7』という、私の記念すべき初著作で、自分で組んだプログラムがありまして、それを打ち込んだマシンがデモしていたんですね。「おっと、パソ子じゃねえか」、と、結構晴れがましかった思い出ありますよ。

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