市川:ええ。『強く生きるために読む古典』というタイトルの通り、敦さんは、いろいろな局面で人生をどう肯定するか、の話を書いていらっしゃいますよね。でも、その肯定しようとするところの根本にある絶望感とか否定感みたいなものを感じて、読めば読むほど、すごく引きずられたんです。

肯定のエネルギーの源にあるものは、深い絶望ではないかと。

市川:ただし、「引きずられた」と僕が言うのは、ネガティブな意味じゃなくて、そういうインパクトを持っている、ということです。だけど、そういう感想をここで話したら、「よし、強く生きるために読もう」、と思っている人が逃げちゃうんじゃないかと心配で。

:商売としては心配になるよね(笑)。

市川:さて、お待たせしました。まず敦さん的には、このタイトルはどうなんですか。

岡敦さん

岡敦(以下、敦):「ために」というタイトルですが、「全然、ためにならなかった」と不満を持つ読者もいるかもしれませんね。

 しかし、これらの本をこんなふうに読まなければ、ぼくの人生はあり得なかった。ぼくの人生を成り立たせる「ために」なったことを書いている、とは言えます。そう考えると、タイトルにはならないけれど、内容的には「ぼくが強く生きるために読んだ古典」って感じかもしれませんね。

「つまらない」と思っていた夏目漱石がいきいきと

市川:なるほど。そもそも、岡康道さんと僕がこうしてお話するようになったきっかけにも、そういうテーマがありましたよね。

:そうですね。僕はそんなに生きることや死ぬことについて突き詰めて考えたこともないけど、父親の死をきっかけにして、少し自分の周りの死のことなんかを考えようかな、というふうになったんですね。

 肉親の死や自分がそれなりの歳になったという現実に直面したら、それまで、「つまらない」と思っていた夏目漱石がすごくいきいきと見えてきたりしたんですね。

 その辺は僕は調子がいいし、器用だから、じゃあ、この危機を機運として文学の方に向けようかな、みたいになって。それで母校の市川先生の講義にちょこちょこっともぐりこむようになったわけ。

 市川先生、この話公開していいんですか。

市川:学生時代、モグった授業でいろいろ学んだので、いまさら否定はしづらく(笑)

岡康道さん

:ただ、初めて授業に出るときまで、市川先生のことは年配の先生だと思っていた。60歳代ぐらいのおじいさんを想像していたんですよ。

市川:講義のテーマは現代文学史なんですけどね。

:講義にモグってみたのはいいけれど、最初の講義から教室変更があってね。その「教室が変わりました」という連絡って、僕には来ないですよね。

 それは来ないですよね。

:講義を受けていたら、貨幣とは何か、という話が始まっちゃったわけ。えーっ、これって何? 訳の分からない興味もない授業、貨幣論。これはつらいよ。

現代文学史のはずなのに。

:しかも真ん中辺に座っちゃったがために動けないんだよ。だから、最初の講義にはいきなり欠席して、しかも僕は講義に出ていた(笑)。それで先生に、1回目から教室を間違えてしまいました、と謝りのメールを出して、それで2回目に初めて会ったわけですけれども、そのときは、えっ、こんな若いのか、と驚いちゃって。だってその、貨幣とは何か、はおじいさん先生だったんですよ。

市川:ますますおじいさん予測が膨らんでらした、と?

:より強く想定していて、まあ、びっくりしましたね。

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