高木:それを言ったら、2番のときこそ、ああ、次はバントをやるんだろう、ということで、もっと楽にトイレに行けるでしょう。
岡:いや、だけど本当は、ここでバントをやるのか、エンドランなのか、盗塁なのか、あるいは自由に打たすのか、分からないよな、という場面での采配を見たいんですよ。だって、絶対バントだ、っていうのは采配じゃないじゃん。そんなの、僕がベンチに入ってもできますよ。
高木:今ね、野球がシステム化されているでしょう。例えば、ここは誰が見てもバントだなとか、6回から先はあのピッチャーが出てくるな、とか。で、そのピッチャーが出てきたら、抑えはあいつだ、と。全然つまらないでしょう。
岡:あれがつまらなくしているよね。だって、試合というのは、どうなるか分からない、ということが面白いわけだからさ。これは試合に限らず、どんなことでもそうだよね。恋愛でも仕事でも。
高木:だから、今の野球はドラマで筋書きが見えているみたいなもんですよ。
そういうふうになり始めたのは、いつごろからだったのでしょうか。
抑えのピッチャーにもドラマがあった時代
高木:抑えのピッチャーが出始めたころでしょうね。1980年代に、斉藤明夫さんや江夏豊さんが抑えになったころから。
岡:でも、あのころは江夏、斉藤自身にドラマがあったから、出てきて面白かったわけですよ。
高木:何でドラマが生まれるかというと、当時の抑えって3イニングとか2イニングとか平気で投げていたからね。
岡:そうだよ、抑えと言ってもイニングが長かったですよ。
高木:斉藤さんなんて、抑えのピッチャーでありながら、規定投球回数に達していたわけです(笑)。今から考えたらあり得ない。さらに防御率のタイトルも取っちゃってましたもんね。
それでも文句が出たんですよ。あんな3イニングしか投げないやつが、防御率なんか取って、と。だったら、お前、やってみろ、と、そういう文句を言うやつには、言いたかったけどね、僕は(笑)。

岡:しかも斉藤さんは、球が来ていない日は顔でやっていたから。かーっ、と威圧していた(笑)。江夏だって、江夏が投げている、とそれだけでもう、いいわけだから。だいたい2人とも、先発ピッチャーから転向しているじゃないですか。本当は江夏だって先発したいんだろうな、この真っ白なマウンドで投げたいだろうな・・・・・・とあるから、こっちは感情移入できる。自分もそんな葛藤が分かる歳になっているから、もう激しく入りこんじゃっている(笑)。
高木:そこが野球の面白さだよね。
岡:だから、よく知っていないと楽しめない、ということでもあるんだけどさ。
どんなヤツで、何をやりたいか、が見えない
高木:それと、昔は各球団にいろいろな売りがありましたよね。俊足を言うにしても、スーパーカートリオ(高木豊、加藤博一、屋舗要)とか、青い稲妻(松本匡史)とか。
岡:懐かしいキャッチコピーだよね。スーパーカートリオって。
高木:走れなくなったら耕耘機と言われましたけど(笑)。
岡:加藤さんと屋鋪さんと、そんなにカッコいい3人でもないんだけど、走るという記号性というんですかね、はっきりした個性があるわけ。でも今は、そういうものってなくなっちゃって。僕は野球ファンとして、ピッチャーの使い方も含めて予測ができない試合を見たいのに。
高木:その意味で、最近のプロ野球は勝負に対して潔さがないですね。これで負けたらしょうがない、というのが。最後まで小さな策を弄しながら、じたばたしているでしょう。だから武士ではないよね。そういう魂がない。
岡:高木はサッカーでプロを目指すという息子に「ショーマンシップ」を叩き込んでいるわけでしょう。でも、今の野球は観客がどう楽しむかよりも、勝率とか数字の方が先に立っちゃって。
高木:そうですよね。ファンがどういう野球を見たいか、という野球をやらないで、勝手に進めているだけで、何だか閉鎖的じゃないですか。
本当は、バントをするような野球は見たくない、とファンが言えば、じゃあ俺たちはバントをしない、その代わり、球場に見に来てください、と、そういう話だと思うんですよ。ファンは今、見たくもない野球を見ながら、応援しているわけです。それで負けたとなったら、腹が立つでしょう。
岡:まさしくそうなんだよ。
Powered by リゾーム?