内田:神戸女学院大学が拾ってくれたから。よくぞ拾ってくれましたよ、もう。

偉い! 神戸女学院。

内田:30数校落ちたんですからね、僕は、公募をね。

なぜ採用されたのでしょうか。

内田:たまさか、そのときの公募書類を見た先生たちが、こいつ面白いじゃないか、高校中退しているぞ、って(笑)。

小田嶋:それが効きましたか。

内田:そうらしかったですよ、後で聞いたら。でも逆に、高校を中退しているからだめだ、というところも、もちろんありましたよ。1968年に中退だって、ああ、こいつはだめだね、というのがある(笑)。

小田嶋:よりにもよってその年に、と。

「君、高校中退とかして、面白そうな子だよね」

内田:だけれども、1968年中退か、これはなかなか面白そうだ、採っちゃえ、採っちゃえ、という人もいたわけです。神戸女学院の先生たちには、「君、面白い子なんだってね、期待に応えてよ、面白がらせてよ」、って言われました(笑)。

小田嶋:そういう人としての採用だったんですね。

内田:「そうなんですか? そういう役割だったんですか?」って。それから後ですよ、僕が少しやってきたことなんかが、だんだんメインストリームになってきたのが。でも、80年代に反ユダヤ主義とか、ユダヤ教哲学なんてやっている人間なんて、まずいなかったです。何で仏文なのにそんなことをやっているわけ? って、周囲からさんざん言われました。

小田嶋:ほとんどマンボに近い。

内田:本当にマンボですよ。オマエ、何でマンボやっているの? と(笑)。

小田嶋:でも、ちゃんとマンボの時代は来るものなんですね。

内田:でも僕は、何々の時代が来る、来ない、という以前に、みんなが同じことをやっていること自体がおかしい、と思うんですよ。

みんなが同じとは?

内田:そのころ、仏文界でジョークがあったんです。仏文の世界は3分の1がマラルメとプルーストで、3分の1がボードレールで、後の3分の1がフローベールでできているよ、という。日本にいる仏文の研究者って、ざっと2000人いるんだけど、確かに冗談じゃなくて、マラルメ&プルースト、ボードレール、フローベールに各200人ずつぐらいいるんですよ。あとの専門家は、だいたい10人ぐらいずつが、それぞれの作家とか思想家とか詩人(を研究している)。

 フランス文学って、中世から現代に至るまで、哲学とか戯曲とかを含めると広大な領域があって、ものすごい数のアーカイブが用意されているのに、日本では、その中の1万分の1ぐらいのところに、研究者がばーっと集まっているんです。

小田嶋:だから、そこへいくのは生存戦略としては、案外間違っていますよね。

内田:俺は、何でみんなが行くのか、これはおかしいよ、と言っていたんです。

小田嶋:ダイバーシティーとして変ですよ。

「公平に」査定されたくて、みんながおなじことをやってしまう

内田:そうそう、多様性もへったくれもないでしょ。でも秀才たちは、そういう風に、みんなプルーストとかにいっちゃうんです。なぜかというと、日本に200人からの学者がいると、自分の研究についての格付けが厳密になるから。論文を出した時に、これはどの程度の論文で、国際学会で発表してもいいぐらいなのか否か、と、非常に精密な成績査定が行われるんです。

 優秀な子たちというのは、ずっと受験勉強をやってきているから、出した論文に関して精密な査定が行われないと許せないんです。

小田嶋:偏差値が出ないと、落ち着かないんでしょうね。

内田:一生懸命やったけど無視されるとか、誰からも相手にされないとかは我慢できない。だから、初めは自分のスタイルでやっていても、途中で専攻を変えちゃう。評価されないとなると、みんながやっていることをやりだすわけです。

小田嶋:査定されることが努力分の報酬だ、ということなんでしょう。

内田:厳正な成績評価が可能な領域って限られていますから、そうすると世界ランカークラスの学者が数人いるような専門領域に全部が集まっちゃう。後は無人の荒野です。これは本当に、多様性から言ったらまことによろしくないんですよ。だから仏文はその後、あっという間に凋落したんです。

なぜ。

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