内田:だから自分の方から踏み込むことが必要なもの、高度なリテラシーを要求するようなものは、入り口のところでハードルを高く設定しちゃうと、絶対読んでくれないというのがある。ですから取りあえず、どんなややこしいことを言うにしても、入り口はいらっしゃい、いらっしゃい、って感じで呼んで、最後まで引きずっていく(笑)。
そういう技術って、本の読者を想定して書いている時に比べると、明らかにリアルな要求として求められているでしょうね。
そして、それは文体を変えますよね。しかもそれって、もしかすると日本語に合っていたんじゃないか、という気がするんですよ。
小田嶋:とおっしゃいますと。
内田:日本語って世界でも類を見ないところの表意文字と表音文字のハイブリッド言語で、土着語に外来語が載っかっているという構成ですよね。
土台がコロキュアル(colloquial 口語的)な語りで、そこの上に観念とか概念が載っかっているわけで、日本語がうまい使い手というのは大昔から、このコロキュアルな柔らかい流動性のある文体の上に、ソリッドな概念を載っけていく達人だったわけです。言ってみれば、落語の文体みたいなところに、ヨーロッパの先端的な哲学とか、美学を載っけちゃう。漱石の『吾輩は猫である』みたいな文体ですね。
ああいう風に書いてもらうと、実はすごくヨーロッパ的な、ちょっとやそっとでは理解が難しい哲学なんかも、すらすらと読みながら腑に落ちてしまう。
なのに、ヘーゲルとかカントとか、僕らが教養主義的に読んだ文章の翻訳というのは、そういう口語的な文体の乗りのよさとか、リズム感とか、そういうものってほとんど配慮してなかったですからね。
小田嶋:内田先生が今度、『ヘーゲル法哲学批判』を解説されるんだ、ということは、俺は本当に縁を感じましたね。だって、あの本は、我々が大月書店だかのすごい本を買って読書会を開いて、半分くらいしか読めなかったから。
内田:分からなかったでしょう。
小田嶋:ものすごい分からなかった。世にも分からなかった。

それで、書く側からすると、ちょっと複雑なことを言おうとすると、文章が長くなる。ほら、カフカのものなんて読むと、2ページにわたって丸が、句点がなかったりするじゃないですか。昔は、あれを窒息しながら読むのも快感だったりして、自分も気が付くと、そういう長い文章を書いていたりしたんです。
でも、「とても何々であるところの何々を何々したものが私の概念であるとするならば、それを何とかしたところの何々を、私は何とかするものである」、みたいなことの文章を運営するには、すごく高い技量と知性が必要で。と同時に、読む側にもそれを読みこなすだけの技量と知性が必要で。とはいえ、それをキャッチボールしていた時代が、かつてはあったんですよね。
内田:あったんですよ。
小田嶋:だけどインターネットだと、そういうのはちょっとあり得ない。2行ぐらいの文言でも、それ、分からないから3つに分けてよ、みたいな要求が平気で来る(笑)。
内田:それは、ある意味で伝統的な日本の王道なんですよ。
「知性のアクセルを踏み抜いてみたい」人々もいる
小田嶋:だからインターネットで、言文一致が1段階進んだ、という感じは確かにありますよね。非常に逆説的に言うと。
内田:でも、やっぱり、ちょっとは複雑なロジックに付き合ってみたいとか、2ページ句点がない文章を読んでみたいとか、ある程度、頭のハードがいい子はいるんです。そういう子にとってネット上の文章というのは、パフォーマンスのいい車で、とろとろと走ってることと同じで。もしアウトバーンがあるんだったら、思いっ切りアクセルを踏み込んで200キロ出したいな、という潜在的に能力のある人たちは絶対にいる。
小田嶋:ちょっと負荷がかかった方が気持ちがいい、ということはあります。
内田:ただ、今はまったく提供されていないでしょう。ネットどころか、むしろ本当に活字の世界で。
内田先生がこれだけ大人気というのが、潜在層の存在をちゃんと表しているのに。
内田:大人気じゃないですよ。
いえ、大人気と言っていいですよね。だって1日に6件もある講演依頼を、全部断っておられるんでしょう。なぜ断るんですか。
内田:講演はあんまり好きじゃないんです。
教育って、プレス工程で「なくてはならない」
小田嶋:下世話な話をすると、講演の方がラクでお金になるということはありませんか。
内田:講演よりも文章を書いている方が、僕はラク。そもそも講演は、教育関係以外のものは受けなかったの。で、聴衆はみんな学校の先生たちで、「我々はどうしたらいいんでしょう」と食い入るような目で、とにかく真剣なんですよ。「いや、皆さん、あまり深刻にならないで、落ち込まないで」って僕が言うんだけど、それを繰り返すうちに、俺、またこれをやっているのか、って。だんだん新興宗教の集まりか何かでね、「みんな、これからいいことがありますよぉ」、みたいな雰囲気になってきちゃって。
小田嶋:でも需要はあるんですね、きっとね。
内田:今、現場の教師を励ます人って、誰もいないんですよ。
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