「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2021年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)

 本記事は2009年6月19日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

本連載の単行本タイトル、「人生2割がちょうどいい」。その心は、「できることの幅は、勝率ではなく、負けられる幅で決まるから。弱者というのは、この負けしろが少ないという人。基本的に負けられない人です」--。『ア・ピース・オブ・警句』で大人気の小田嶋隆と、内田樹先生の暴走販売促進対談、スタート!

内田先生は小田嶋さんと、どのようなお知り合いなのでしょうか。

内田:ファンです(笑)。

即座にお答えが。

内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京生まれ。東京大学仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。近書に『昭和のエートス』(バジリコ) 『街場の現代思想』(文春文庫)『街場の教育論』(ミシマ社)など多数。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞受賞。ブログは「内田樹の研究室 みんなまとめて、面倒みよう」。今回の収録については、こちらの「日本語による創造とは」でご本人も書かれています。

内田:僕は長いファンなんですよ。「シティロード(1972年から93年まで発行されていた、東京の情報誌)」に連載していた『我が心はICにあらず』からですから、最初期から、ということですよね。まだ単行本が出る前ですから。

小田嶋:もろ初期ですよね。

内田:70年代。めったな人は読んでないですからね。

ちょっと言葉を変えれば、変わり者ということでもありますよね。なぜ、とうかがってよろしいですか。

内田:「シティロード」の欄外か何かの、ものすごく小さいコラムだったんですけど、文章の際立ち具合がすごかったですからね。もう、ひときわ光っていました。今となっては、結構レアものの初版本から始まって、ご著作はほぼ全部、持っています。

実際にお会いになって、お話しされたのは?

内田:『9条どうでしょう』(2007年・毎日新聞社)を一緒に書いた時かな。

小田嶋:2年ぐらい前ですか。

9条問題、虎の尾を踏む男たち

内田:毎日新聞の企画で、いろいろな人に9条について論じてもらおう、ということだったんですけど、編集者が橋本治さんとか、矢作俊彦さんとかに次々と断られたみたいで。最後に僕のところに来て、「どうでしょうか」と言うので、「僕の好みで選んでいいですか?」と聞いたら、「いいです」という話だった。なので、「じゃあ、平川克美、町山智浩と小田嶋隆、この4人で書かせてくれないか」となったんです。

ファン時代から四半世紀を経ての邂逅だったのですね。

内田:四半世紀はオーバーですけど、でも20年ぐらいにはなるかな。

小田嶋:そうですね、20年ぐらいになりますね。私の方は編集者さんに、どこかの大学の教授さんが褒めてくれているよ、ということをウワサ話のように聞いていて、うわあっと恐縮していたタイミングで原稿依頼がありまして。「9条」って、テーマとしてはすごく嫌だったんですけど(笑)。

内田:小田嶋さんも町山さんも、本当に嫌々書いてくれたんですよね(笑)。

小田嶋:ものすごく嫌だったけど、「執筆メンバーがみなさん、虎の尾を踏みにいく人たちで…・・・」と、うまく煽られて、これは応えないとな、と。

そうすると、内田先生は小田嶋さんのビフォー・アル中、アフター・アル中の時系列に沿って読んでおられるわけですね。

内田:こんな忠実な読者はなかなかいないですよ。

小田嶋:先生はこの間、クリント・イーストウッドが監督をした映画「グラン・トリノ」の解説を書いておられましたが、私はとてもひどいアル中時代に、カーメルの店に行ったことがあるんですよ。

酒のためだったら怖くない

かめ? 亀有?

小田嶋:いや、カーメル。カリフォルニアの、イーストウッドが市長をやっていたところ。

内田:亀有って、両さん(注・マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公、両津勘吉)じゃないんだから(苦笑)。

すみません。小田嶋さんが、そんなおしゃれなところに行っていらしたとは・・・・・・。

小田嶋:その、イーストウッドがやっていたレストランに行って。だいたいカリフォルニアは禁煙だらけなんだけど、そこはもう、たばこは自由に吸ってくれ、という店で(笑)。

内田:いい店ですねえ。小田嶋さん、アル中時代でも、そういうアクティビティーはあったんですね。

小田嶋:アップル本社を訪れるというような取材企画がありましてね。サンフランシスコからサンディエゴまでロードムーヴィみたいにドライブして、途中で寄ったんですが、道中ずっと飲みっぱなしで。

内田:なるほど(笑)。

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:サンタモニカあたりに酒屋があるんですが、酒屋の周りの雰囲気がすごいやばいわけですよ。ホームレスがだーんとたむろしていて、中で酒を買ったやつが出てくると、俺にも少し分けてくれ、と、がーっと群がってくる。これは怖くて買いに行けないな、なんて案内役の友達と言い合いながら、ホテルにチェックインしたんですけど、ホテルに酒が置いてなかったので、じゃあ、やっぱり、あそこに買いに行かないとな・・・・・・ということになって。

 でも、俺は国際免許を持ってなかったんです。それで、「オレ、歩いて行ってくるよ」と友達に言ったら、「オマエ、あんなところに歩いて行って、無事に帰ってこられっこないだろう!?」って、散々もめて。結局、そいつが夜中に車を出して、ハイウエイの向こうの酒屋まで買いに行ってくれましたけど。

内田:アル中、恐るべしですな(笑)。

小田嶋:あんなところに酒を買いに行く、と言い張るほど、お前は酒にやられているのか、って友達は結構、驚いていました。アル中者というものは、もうある段階になると、明らかな危険を無視しちゃうんですね。ビールを2~3本余分に買っておいて、配って歩けば襲われたりしないだろう、みたいに。でも、カリフォルニアの観光地の1本入った道の酒屋って、やっぱり観光客がすっとお酒を買える雰囲気じゃないんですよ。サファリと一緒だから、車から降りたら終わりだ、と言われましたね(笑)。

内田先生はアルコール関係はお好きですか。

内田:おととい、うちの大学の校医さんと話していたら、「内田先生はアル中ですよ」って言われましたね(笑)。

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