「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2020年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)

 本記事は2007年9月28日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

(いっそのこと前回から読む)

今、ウェブ上のテキストというのは、やさしく書かないとダメだ、というのが、ある種のイデオロギーみたいになっている感じがあるのですが、お二人はどのようにお思いでしょうか。

小田嶋:文章はやさしいほうがいいというのは、結論として正しいんだけど、アプローチとしてたぶん正しくないんですよ。僕自身、結果的にはやさしく読める文章を書こうと思っているけれど、その前段階として、「お前らなんかに分かってたまるものか」みたいな、そういうちょっと高踏的なところは持っていた方がいいな、と考えている。まあ、それが商売になるかというと、ちょっとならないですけどね。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

クリエイティブディレクター 岡 康道氏 (写真:大槻 純一、以下同)

:誰でも彼でも文章を発表できる時代になったんですよね。読んでいる人より書いている人の方が多いというのは、もしかしたら、聞いている人より話している人の方が多いということかもしれないな。でも、昔から人のコミュニケーションというのは、結局、そういうものなのかもしれない。ウェブで誰でも彼でも随筆家になるというのがよくないと言っちゃうと、それはお前の特権的な立場が言わせるんだ、という批判もあるから、そうは言わないけれど。でも、実際読むに耐えないものが多いですよね。ただ、そのことを議論をしても、ウェブというのは止められないものね。

小田嶋:おそらく基本的には8割方いいことなんですよ。発表の場が多くなって、書く機会が増えて、ということはレベルが上がることだし。ただ、書いたものを発表するハードルが低くなっちゃうと、物を書く恥ずかしさというのがなくなるところが、やばいかも。我々が高校時代にクラスの後ろの方で何か物を書いて交換し合っていた、というのはすごく暗いというか、あいつら、何、文学少年みたいなの? という気持ち悪さがあるわけですよ。

当時もあったんですか。

小田嶋:あったでしょう、それは。自分たちだってそれを知られたくない友達が別にいたわけだから。岡あたりと、あんなことをやっていることを、こっちの友達には知られたくないということは、ちょっとあったよ。

:僕なんか体も大きいし、一見そういうふうには見られない。むしろ運動選手みたいな感じでしょ。大学の4年間はそういうキャラクターで押し切ったしね。友達には知られたくないという感じは、小田嶋より僕の方があったかもしれないですね。

モノを書くなんて、恥ずかしい

小田嶋:でも俺もあったよ。

:お前もあったんだ。

小田嶋:あいつ、物なんか書いているんだって、みたいなことは、やっぱり知られたくない。そんな世界は一個、持っているわけだよ。

:そういうのがなくなっちゃうということだよね、インターネットというのは。

小田嶋:お互い、距離が遠いところで、顔を知らないやつに読んでもらうと、そう恥ずかしくない。でも手書きで書いたものを誰かに読ます場合は、クラスのやつ以外に相手がないわけです。これを全員に読まれたら、明日から会えないよ、ぐらいの気持ちになるよ。

:男の子はそういうことをしちゃいけない、という感じがどこかにあるよね。

小田嶋:たとえば同人誌に投稿するのは1回郵送で送る、というアクションがあった。クラスのやつらには知られないけど、投稿した分が同人誌のどこかに小さく載っかってうれしい、みたいなことは別世界としてあり得たと思います。

:お前、投稿していたのか。

コラムニスト 小田嶋隆氏

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:例えだよ。ウェブは今、そういうことがすごく簡単にできるから、顔も知らないやつと文学上の友達みたいなこともできるんだよね。書くということがオープンになっちゃって、そのこと自体が、我々の世代からすればというか、僕には気持ち悪いことなんです。書くという行為をやっちゃっている仲間には、また仲間内で独特の恥ずかしさがあって、こいつが昔書いたものを俺は読んでいるんだよ、という恥ずかしさが今でもあるし、岡に俺の恥ずかしい文を読まれたんだよな、という恥ずかしさもある。

:そういう恥ずかしさがウェブ上の文章にはないのかな。

小田嶋:どうなんだろうな。でも今のやつらでも、やっぱりクラスの連中に自分の書いたものを、はい、とは読ませられないと思うよ。

ウェブでは匿名性というのが大きく関わっているのではないですか。

小田嶋:小田嶋です、じゃなくて、ジャッカルです、みたいなことで書いていれば何でも書けるよね。ジャッカルだったり、ベニーだったり。

「猿とだって、ちゃんと話す」人に見せたい

:文章を書く以上は何かを批判したり、批評したりすることが当然付きまとうものでしょう。というか、それなしではあり得ないものだし、そうなったときの責任のようなものというのは当然ある。責任が取れないから、クラスの中だけで流通させたりしているわけじゃないですか。それを公に出しておきながら名前を伏せるという行為が、何かそんなことが許されるのか、という疑問が僕にはあるね。

でも、それが今わりとマスですよね。

小田嶋:そこのところの卑怯さは、やっぱり僕はいやですね。例えばブログをやっていて思うんだけど、コメントを付けてくるやつは匿名で付けてくるけど、ブログをやっちゃっているこちらは顔を出しているんだからね。

非対称ですよね、そこは。でも小田嶋さんは、かなり理不尽なコメントにもちゃんと対応していますよね。

小田嶋:あれは観客を意識しているところもありますね。

:そうなんだ。

小田嶋:本当は理不尽なコメントにこちらはハラを立てているんだけど、噛んで含めるようにものを言っているのは、それを読んでいる人々がいるから。ああ小田嶋さんは、サルともちゃんと話をする人なんだと、観客に見せたいわけ。

:ブログを始めたころと、時間がたってからとで、コメントの書かれ方は違ってきた?

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