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 本記事は2007年9月14日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

 日本語は今、英語を抜いて、世界で一番ウェブ上に流通している言語だといわれている。しかも、読む人間より、書く人間の方が圧倒的に多いのだという。それほどまでに人々が文章を書いている一方で、相手に何かを伝えることの難しさは、むしろ増えているように思える。「誰もが発信者」、そんな史上初のシチュエーションを迎えた今、いったい私たちの「コミュニケーション」はどこに行くのだろう。広告の世界でクリエイティブディレクターとして活躍する岡康道氏と、コラムニストの小田嶋隆氏が、高校時代の同級生という縁から始まった「伝達」について、ゆるゆると語り尽くす…はずだったのだが?

岡さんは高校生のころ、文章で食べていこうと思っていたのに、同級生にすごく文章がうまい人がいて、それで諦めたと、エッセイに書いておられましたね。

:そう、それが小田嶋だったんだよね。

二人で交換日記をしていたんですよね。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

クリエイティブディレクター 岡 康道氏(写真:大槻 純一、以下同)

:交換日記というと、なんか、すごく恥ずかしいじゃないか(笑)。同じクラスの仲間うちで「文体模写」という遊びをノートに書き付けて、回し読みをしていただけなんですよ。たとえば山本健吉とか森鴎外とか、授業で教わる文章があるでしょう。それを、どれだけうまくパロディにできるか、というような遊び。最初は何人かで回していたんだけど、そんなバカなことを続けるやつなんて、小田嶋と僕くらいしかいなくて、成り行きで交換日記みたいになっちゃった。

その小田嶋さんは、まさに文章で食う人になりましたよね。

小田嶋:だから高校生のときにやっていたことと、今やっていることと、そんなに変わらないはずなんですよね。岡もきっとあんまり変わらないと思うんですよ、気分としては。俺から見ても変わらないです、こいつ(笑)。こいつがやっている仕事って、ウワサでは聞いていたんだけど、具体的な内容は長いこと知らなかったんですよ。岡が作った広告をちゃんと見るようになったのは、この5年ぐらい。それ以前は、何となく見ないようにしていて。

:何で見ないの?

小田嶋:避けていたわけじゃないんだけど、まとめて見ていなかった。だから、まとめて、あらためて見たら、何だ、これは!? というので、ちょっとびっくりした。そうか、岡はこういう仕事をしていたか、と笑いましたよ。

東大って、当然行ける。と思っていた僕たち

:確かにあんまり変わっていないよね。僕たちは1972年に東京都立小石川高校に入学したんだけど。今は中学・高校一貫になっちゃったんだよな。

小田嶋:そう。うちの息子は落ちた。

:俺、この間、小石川高校を見に行ったけどね。ずいぶん変わったね。グラウンドの方に校舎が建っていて、もと校舎があったところがわけの分からないようになっていて。

コラムニスト 小田嶋隆氏

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:新校舎を建設中なんだよ。かといって学校を休むわけにもいかないから、校庭をつぶして校舎を作ったんだ。その間の経緯は知らないけど。

:サッカー部がいて、みーんな茶髪だったんだよ(笑)。てっきり違う高校の子が来て練習しているのかと思って、「小石川高校のやつはいるのか」と聞いたら、「僕らが小石川です」と。「俺、OBなんだよね」と言ったら、「そうですか」なんて、みんな礼儀正しいわけ。今は。

小田嶋:僕たちが通っていたころの小石川は嫌な学校で、3年間クラス替えがなかったんだよね。全部で9クラスあったんだけど。だから友人関係は、かなりベタになって、結構、澱むんだよね。その澱んだ中にいましたけどね。

:学校群制度が始まって3年目くらいの入学で。

小田嶋:だから我々が入ったときの卒業生はまだ優秀だったんだよ。何十人か東大に行ったんだよね。先生は「君たちは1年浪人すれば東大に行くんだから、好きにやりたまえ」みたいなことを言っていたしね。

:A組からI組まであって、俺たちはI組だったんだけど、I組でも何人か東大に行ったよね。

まだ名門・小石川の空気があったんですね。

:ムードはそうだから、違う大学を受けられないんですよ、雰囲気としてね。とにかく僕たちのように、浪人にして早稲田というのはあんまり出来のいい方じゃないですよ、クラスではね。

小田嶋:実力はないけど気分は全然エリートだった(笑)。だから高校2年生ぐらいまでは東大に行かなくちゃな、ぐらいの気持ちで。

:だけど全然そういうレベルじゃなかったんだよね、結局(笑)。1年の試験の時、バリケード封鎖されたよね。3年生がヘルメットにタオルみたいなのを巻いて、それで試験がなかったことを覚えている。

小田嶋:ちょうど上の世代が、大学でガタガタやっていたのを真似して。都立でも日比谷とか小石川というのは、ちょっと大人ぶって大学生の真似をするような気風が残っていたんだよね。で、それが格好よく見えた。

:格好よかった。だから当然、政治的になる。高校生が政治的になるというのは、今は特別なことだけど、当時は政治的でないということが許されないムードがあった。全然意味は分かんないんだけど、読書会みたいなものを開いたよね。マルクスの前にヘーゲルを読まなくちゃいけない、とか、ヘーゲルに行くんだったらカントだって読まなきゃいけないんじゃないか、みたいに。

読書会、破綻す

小田嶋:読書会を開かないとまずいんじゃないか、みたいなことを言い出すのは、お前なんだよ。「お前、マルクスを読むのにヘーゲルも分かっていなくて、どうするんだ」みたいに、急にラディカルなことを言う。マルクス、ヘーゲルどころか、こっちはアリストテレスも知らないぞ、なんて言ったら、そこからやらないとダメだろう、なんて言い出して、結局、どれもちゃんとはやらならかった。

:そうそう(笑)。ちゃんとやらなかったけど、でも何冊か読んで、みんなで分担を決めて読書会を進めた。お前もその中にいて。

小田嶋:今、思えばあのメンバーは優秀だった。一人は神学部に行って、牧師になったしね。東京のリベラル派牧師の中では神学者としてちょっとしたもの。業界の人にはよく知られている。業界とは言わないか、神学界は。

読書会は学校の中でやるんですか。

小田嶋:巣鴨にあった友達の家に集まって、1人20ページずつぐらい分担して。コピーを取って、例文解釈みたいに細切れにして「ここはこういう意味である」というように(笑)。

:そもそも、使われている単語からして分からなかったから。

小田嶋:あんな分からない文章、生まれてこの方、読んだこともない……。