前段の話からの流れで、自己変容型のリーダーが世の中にも組織にも、もっと増えなければいけない背景は分かりました。しかし、先に挙げた2人のように、今の職務で才能を発揮して、その仕事に誇りを持っている人が変わってしまうことは、それまで培ってきたスキルを錆びつかせることにならないでしょうか。その恐れは「障壁」というより自然な思いではないでしょうか?。

キーガン:スキルをなくすことにはなりません。蓄えてきた知識や経験は残っていますし、今後はその知識だけが必要なわけではなくなった、ということです。さらに新しい知識が加わるのです。

 たとえ話ですが、歩くことしかできなかった人が走れるようになったとします。そこから練習を積み重ねて速く走れるようになった人に「次は飛んでみろ」と試練を与える。飛べるようになったとしても、歩くこと、走ることができなくなるわけではありませんね。繭が毛虫になって蝶になる、これも全く同じ個体が変容していくだけですよね。優秀な「毛虫」を昇格させるのは、もっと大きな毛虫になってほしいからではなくて、蝶に「変態」してほしいからです。

 人類が望ましく存続するためには、自己変容型の人が多くならなければいけない、という話をしましたね。ですから組織が生き延びるためにも、自己主導型知性の人が、少しでも多く自己変容型知性へとさらに進化しなければならないということなのです。

社員をじっくり育成する経営を捨てるべきではない

専門職採用でポジションに合った人を充てていく欧米型に多いスタイルより、一度雇った社員を長期にじっくり育成して「変容」させていく経営スタイルというのは、古き良き日本型経営のようにも聞こえます。

キーガン:まさにそうです。1980年代の日本企業の経営はこのような感じだったと聞きました。終身雇用で、社員を家族のように扱うわけですね。優秀な人材を時間をかけて育てていく風土が、日本には以前はあったけれども、失われつつあるとも聞いています。

 一方で最近、私が大変尊敬するある米国人のリーダーが、「最近、会社を家族のように見なければならないように感じる」と言っていました。自分の子供が失敗しても、家族から追い出すわけではない。家族は、子供がもっと成長できるように我慢強く支えていく。そのような態度でなければいけないな、と。

 そのポジションに最もふさわしい人に次々と入れ替えるのではなく、別のスキルに既に秀でた人材を、そこから上の段階へと導き育てていく。実はこれは、欧米の文化から見ればかなり過激な考え方です。経営者は先を読みながら先取りして、ぶれずに育成を続けなければいけません。

 ある文化ではずっと昔から常識だったことが、他の文化では斬新で過激に映る。良くあることですが、面白いことですね。日本企業は、「優秀な人の年齢と成長段階に見合った育成をして、段階を踏んで成長させていく」というプロセスを完全に捨て去るべきではないと思います。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年5月29日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

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