全5861文字

 幼い頃、自分を寺に引き取り、育ててくれた祖母と母の相次ぐ死。飯島さんは寺に独りになってしまった。悲しみに打ちひしがれている飯島さんを支えたのは、かつて一緒に暮らした妹夫婦であった。世間は、2カ月前に起きた東日本大震災の混乱が続いていた。

 飯島さんは言う。

 「自分自身が遺族になって初めて、お仏壇に向かってお経を読む意味が分かったような気がしました。ご遺族の代弁者こそが、お坊さんなんだと。お仏壇に向かってお経をあげる行為は、“向こう側”にいる亡くなった人と対話をすること。我々を見守っていて下さい、と“向こう側”にお願いをすること。それこそが宗教行為でもあり、遺族ケアでもあると、祖母と母の死を通じて感じました」

飯島さんの祖母(右)と母の遺影が置かれた位牌堂。歴代住職の位牌には「尼」の文字が刻まれている

悲嘆を語り合う

 飯島さんは今、自身の悲しみの経験を踏まえ、ある活動をしている。生老病死のトータルケアを目指す市民団体「ケア集団ハートビート」を立ち上げた。同団体は、死別を経験した人を、地域全体でケアしていく社会を目指し、活動することを目的にしている。

 例えば、死別の悲しみを分かち合う会や、死別支援のネットワークの構築などである。

 愛する人との死別を経験した者が、胸の内を明かせる空間は、日本ではあまりない。例えば、死別の苦しみを会社の同僚や上司に明かすことは、誰でも憚られることだ。

 しかし、悲嘆を秘めたままにしていると、仕事や日常生活に影響が出る場合がある。最悪、鬱状態になって、会社を辞めざるを得ないケースも生じ得る。死別悲嘆は人生の悪循環を生む。

 悲嘆の程度は、自分の子供の死や、パートナーの死、家族の自殺などが特に強いが、こうした深刻なケースは、第三者に相談することが、なおさら難しくなってくる。

 飯島さんは2年ほど前から東昌寺などを使って「悲嘆を語り合うワールドカフェ」を開いている。参加者は毎回、50人ほども集まる。いかに死別の苦しみを抱えている人が多いかが分かる。そこでは境遇を同じにする人と車座になって語り合うことで、「自分だけではない」との安らぎが生まれる。

 「昔は地域の中でそうした悲しみを分かち合うこともあったのでしょうが、近隣との付き合いも希薄になっていますから、お寺が悲しみを抱える人たちの出会いの場になればいいと思っています。悲嘆を語り合う会の参加者は、少しずつ陽が差し込んでいくような感覚で、ゆっくりと前に歩み出せるようになっています」

 そうした悲しみを分かち、慈しめる場は、男性僧侶のいる一般寺院よりも尼寺のほうがふさわしいのではないか。相談相手が尼僧だから、胸の内を明かせるという人は少なくないだろう。

尼僧として生きる

 飯島さんは、人々との出会いや別れの交差点に立つシンボルのようだ。飯島さん自身が多くの苦難を抱え、乗り越えてきた体現者だ。同時に、目に見えない大きな力が飯島さんを支え続けている気もする。

 取材では、飯島さんは自身が闘病中であることを明かした。2012年6月、初期の乳がんが見つかった。手術を終えて現在、ホルモン療法を続ける身だ。

 「まさか、自分もね」

 今を生きる尼僧の、凛とした実像をそこに見た気がした。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2015年3月11日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)