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 「お経をお願いできませんか」

 飯島さんは枕元で、かつて女性と一緒に歌った短い経「四弘誓願文(しくせいがんもん)」を唱えた。

 衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

 《生きとし生けるすべてのものを救い取ります。すべての迷いを振り払って、仏の無限の教えを学び、必ず仏の道にたどり着かんとすることを、お誓い申し上げます》

 ハッと気付いた。
 「私の理想とする宗教の姿は、これかもしれない」――。

 医療現場に宗教的なニーズが見えた瞬間だった。宗教行為が、時には故人や遺族の大きな安らぎになり得る。その意味が、飯島さんの腹にストンと落ちた。

髪を剃り、寺に入った

 諏訪中央病院には5年ほど勤めた。終末医療の現場で死と向き合う日々。充実はしていたものの飯島さんは心身ともに疲れ果てていた。飯島さんがいた緩和ケア病棟では患者の多くは亡くなってしまう。快復して元気になった姿を見せてくれる一般病棟とは異なり、飯島さんは「成果の出ない空しさ」に苦しんだ。

 その頃、松本市の自坊では、祖母が高齢になって弱りつつあった。また、本堂の傷みも激しくなり、大規模修繕に迫られていたことから、飯島さんはいよいよ、病院を辞め、寺に戻る決心をする。

 飯島さんは2000年春、看護師時代に伸ばしていた髪を剃り落とした。看護師のシンボルであった白衣は、黒い袈裟に変わった。飯島さんは36歳。祖母は78歳、母は66歳になっていた。

 本堂の修繕は3年がかりでようやく終えた。寺の大規模修繕や建て替えの際には、落慶法要という、檀信徒や地域を巻き込んだ大きな儀式が催される。ここ松本では落慶法要は2日間にわたって、盛大に実施されるのが地域の習わしである。

 2007年、本堂の落慶のタイミングで、祖母から母へと住職のバトンが渡されることも決まった。東昌寺は、新たな時代へと歩み出そうとしていた。ところが、落慶法要が執り行われたそのわずか2週間後、祖母が他界した。母の晋山式(※)も近く実施する運びであったが、それどころではなくなった。

※しんざんしき=住職の代替わりを披露する儀式

 悲しい出来事が続いた。祖母が亡くなった直後、母にも異変が起きた。飯島さんは母の衣服に大きな染みができているのを見つけ、病院嫌いの母を渋々、診察に連れて行ったところ、乳がんが見つかった。既に肺や骨に転移し、「もはや手術はできない」と言われた。飯島さんは打ちのめされた。

 母は在宅でケアを続け、祖母の死から4年後の春に逝った。朝方、「お母さん」と何度も呼んでも起きてこない。夜間に心筋梗塞を起こして亡くなっていた。看護師経験のある飯島さんだったが、頭の中が真っ白になり、取り乱した。

 「夜中、様子を見にきていれば助かったのではないか」。自分を責めた。