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 医療短大の実習生の時のことだ。

 心肺蘇生の末に、息を引き取った患者の枕元で、飯島さんは「合掌」してしまった。寺に生まれた人間ならば、自然に出る宗教行為だろう。

 しかし、周りを見渡すと、誰も手を合わせていない。しまった、と思った。人が「生」から「死」へと移行してゆく厳粛な流れの中で、僧侶が間に入って「引導を渡すこと」への違和感が重い空気となって漂った。日本で、医療現場に宗教を持ち込むことの危うさ、難しさに飯島さんは初めて気付いた。

 「僧侶や宗教の役割って、何だろう」

 飯島さんの中で、何か大きなものが揺らぎ始めた。

 同時期、月参りをしている時にも、寺や僧侶のあり方、といった根本的な疑問が頭をよぎった。

 「ご自宅にお邪魔すると、高齢のおばあちゃんが立ち上がれずに、寝たきりでいらっしゃることが結構、あります。私は、お仏壇にお経をあげて、『ありがとうございました、失礼します』と言って帰るのですが、後ろ髪を引かれる思いです。お坊さんはお経をあげるだけでいいのか、寺に籠もっているだけでいいのか、という思いに駆られたのもこの頃です」

 葛藤を抱えながらも諏訪中央病院に勤務することになった飯島さんに、院長の鎌田實氏は理解を示してくれた。

 鎌田院長は「僧侶であることを隠す必要はない。仏教もキリスト教も何でもOK。時には尼僧としてお経もあげてもいい」とも言ってくれた。

 こうした終末医療の現場において、心的ケアに携わる宗教家のことは、欧米では「チャプレン」といわれる。病院に宗教が持ち込まれることは、世界的には珍しいことではない。しかし日本では仏教国であっても、病院の中を袈裟を着た僧侶が歩いているだけで、きっと「縁起でもない」ということになるだろう。

 飯島さんは実習生時代の「失敗」の後は、あえて医療現場で宗教色を出すことはしなかった。

「お経をお願いできませんか」

 ところが、僧侶としての役目が求められる時が訪れた。30代半ばの時、63歳の末期の乳がんを患った女性の担当となり、飯島さんは訪問看護を続けていた。

 その人は敬虔な仏教徒で、ベッド脇には仏壇が置かれていた。飯島さんと同行する主治医が女性に、「この人、看護師なんだけれど、お坊さんでもあるんだよ」と紹介してくれた。

 その後、看護に訪れると、飯島さんは女性に対し、聞かれるがままに仏教の話をすることが多くなった。親しみやすいようにメロディに乗せてアレンジしたお経を、一緒に歌うこともあった。

 だが、最期はやってきた。家族からの連絡を受けて飯島さんが駆け付けたのは、息を引き取った直後であった。飯島さんは看護師として臨終の処置を施し、帰ろうとした。

 すると、女性の夫が仏壇から金の小鈴を持ってきて、飯島さんを引き留めた。