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尼寺は本寺の「下請け」

 尼寺は、一般寺院とは一線を画している。一部の門跡(※)尼寺を除き、地域の本寺(ほんじ)の塔頭寺院として建立されたケースが多い。今でも本寺と末寺の「主従関係」が残っている。そうした歴史的な経緯もあって多くの尼寺は檀家を抱えていない。本寺が抱える檀家の月参り(※)や、本寺が実施する葬儀や法事に、役僧(※)として参加するのが尼僧の役割とされてきた。

※もんぜき=皇族や公家の出身者が住職を務める寺院
※つきまいり=故人を弔うために毎月決まった日に僧侶を自宅に迎え、経を唱えてもらうこと
※やくそう=法事を司る「導師」に対し、脇で導師の補佐的な立場を取る僧

 だから尼僧は、本寺の僧侶を立てて脇役に徹しなければならない。一般企業では、女性が男性と同じ立場で働くことが当たり前になっている今の時代にあって、こうした尼僧に対する地位の問題は仏教界にとって頭の痛い問題になっている。多くの伝統仏教教団は、外から見ればまだまだ封建的な面が残っていることは否めない。

 尼寺は本寺の機能の一部を担う経緯で開山したために、一般寺院に比べて規模は小さく、経済基盤も脆弱だ。

 男性僧侶ならば、「ご住職」などと呼ばれるが、尼僧の場合、「庵主さん」と呼ばれることが多い。その言葉には、尼僧の置かれた立場が端的に表れている。「寺」よりも、規模の小さい「庵」の主、というニュアンスがそこに含まれる。

 尼寺での自活はなかなか厳しい。飯島さんを養女として引き取った東昌寺もそう。東昌寺の上には本寺があり、東昌寺自体はほとんど檀家を抱えていない。飯島さんの代以前の東昌寺では家族全体で手分けをしながら回る約150軒分の月参りのお布施が、主たる生活基盤になっていた。

 尼僧は男僧のように、副業を持つことも厳しい。尼僧の規律は独自に定められている。剃髪が義務づけられてているため、パートタイムで社会に働きに出ることが現実には難しい。

 「厳しい経済事情の中、よく2人の娘を育ててくれたと思います。祖母と母には心から感謝しています」

看護師と尼僧の顔

 飯島さんは大学卒業後、仏弟子になる得度を済ませ、2年間、愛知県にある曹洞宗の尼僧堂に修行入りする。僧侶の資格を得た後は、再び髪を伸ばし、医師で作家の鎌田實氏が病院長を務める諏訪中央病院に看護師として就職した。飯島さんは病院の近くの茅野市で独り暮らしを始める。

 1つだけ、盆や彼岸など、寺にとって多忙な時期には、帰省して寺の仕事を手伝うのが母から言われた「社会に出る条件」であった。諏訪中央病院では、訪問看護や緩和ケアなどに従事した。

 「寺で育ったせいか、人が生きる、死ぬということへの関心は高かったです」

 しかし、医療と宗教の間に立ちはだかる壁の高さを、飯島さんは実習生時代に思い知っていた。