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松本市にある東昌寺

 「おばあちゃんとお母さんは、どこまで本当のことを知っていたのだろう」

 長野県松本にある東昌寺の尼僧・飯島惠道さんは、ふとそう思う時がある。実母は飯島さんを出産後、「育てられない」と言い残して、助産院から姿を消した。東昌寺住職だった先々代(当時42歳)と先代(当時30歳)が、首が据わったばかりの飯島さんを引き取った。後に、飯島さんと同じ助産院からもう1人、女児が寺にやってきて、飯島さんの「妹」になった。

 気付けば、松本を流れる清流田川の脇にある小さな庵に、血縁のない女性4人が暮らしていた。

養女として寺に

 江戸期に創建したと伝えられる曹洞宗の東昌寺は4代目以降、代々尼僧が住職を務めてきた、いわゆる尼寺である。飯島さんのように寺に養女としてもらわれた女性が出家し、寺を受け継いできた。飯島さんの「祖母」と「母」も血のつながりはない。

 「思春期を通して寂しいと思ったことはなかったですね。だから何? って感じでした。祖母や母は一般家庭と同じように私と妹を育てることを教育方針にしていました。私たちは普通におばあちゃん、お母さんと呼んでいて、母子家庭ということの他はあまり、気にしたことがありません」

 それでも飯島さんは病院に就職が決まった20代半ば、初任給を使って実親の足取りを調べたことがあった。しかし、出自に関して、関係者は固く口を閉ざし、情報を得ることはできなかった。

 飯島さんは生まれながらにして養女として尼寺に入った。ゆくゆくは寺の後継者になることが運命づけられていたとも言える。だが、母は「将来は好きな人生を歩めばいい」と娘の意思を尊重してくれた。

 飯島さん自身、幼い頃、尼僧になることに疑いは持っていなかった。だが、成長するにつれ、「社会経験を踏まずに仏道に入ることへの逡巡が生まれ始めました」とも振り返る。

東昌寺の本堂の前に立つ飯島惠道さん

 一般社会への憧れは、高校時代、腎臓病を患って信州大学病院に入院したことで芽生え始めた。病院には信州大学医療技術短期大学が併設されていて、看護師に興味を抱くようになった。高校卒業後はこの医療短大に進学した。

 「大学では、それまで知らなかった世界や情報に触れ、楽しくて仕方がなかったです。他県出身の友達もできて、尼僧以外の人生もありかなと思い始めました。『このまま病院に就職すれば、お寺に入るまでの期間を先延ばしできるかも』と、心が揺れ始めていました」