軽度の認知症は専門の医師が診断しないと判別がつかないが、犯人は電話だけで敏感に嗅ぎ取ることができるようです。一人暮らしの高齢者で3000万円をだまし取られたり、訪問販売で高価な羽毛布団を3枚分も買ったりした事例もありました。年金支給日に全額を引き出し、そのままタンスに入れている高齢者が多いのも事実です。

 一人暮らしだと、あらゆる決定を自分で下してきた。だからこそ、加齢で自分の判断能力が崩れてきたことに気づきにくいし、認めにくい。よく「プライドを捨ててください」と言っています。

居住地が「居場所」とは限らない

政府の「地方創生」の一環として、定年を機に高齢者の地方移住を後押しする政策が本格化しそうです。この動きをどう見ていますか。

藤田:うーん。お金を持っている人は現実的な選択肢として考えたらいいと思います。共働き夫婦でともに公務員や一部上場企業の場合、年金受給額が高いので、どこに移住したとしてもやっていけます。

 問題なのは圧倒的多数である約9割の低年金層です。地方移住には住宅・引っ越し費用がかかります。車がないと生活できない。地元のコミュニティーになじまないと生きてはいけません。資金面だけでなく、制度面でもまだ整備しないといけない部分は残っています。

特集では「円の貯蓄より縁の貯蓄」というメッセージを打ち出し、「つながり」が問題解決の手段になると訴えました。ただ、コミュニティーは人工的には作れません。

 東京・新橋にある「東京囲碁会館」には郊外に住む70~90代の高齢者が今でも電車やバスを乗り継いでやってきます。住まいの近くにいくつもコミュニティーがありますが、そちらでは溶け込めず、わざわざ足を運ぶそうです。

東京・新橋の「東京囲碁会館」。平日の昼間から多くの高齢者で賑わう(撮影:的野 弘路)
東京・新橋の「東京囲碁会館」。平日の昼間から多くの高齢者で賑わう(撮影:的野 弘路)

藤田:本人が「居場所」として感じている地域、コミュニティーはどこなのか。これは他人が決められる問題ではありません。住んでいる場所だからと言って、そこが必ずしも居場所にはなりません。

 私が支援活動をしている埼玉のような郊外は特にそうです。「埼玉都民」と呼ばれるように、地元の帰属意識は希薄です。地域づくりの政策の難しさを感じています。高齢者が初めて地域のコミュニティーに関わるようになるのは、介護が必要になった時と言われています。介護サービスを受けるようになれば、地域のデイサービスや老人ホームと関わるようになるからです。楽しそうなのは健康な高齢者ではなく、要介護者ですね。

それは皮肉な話ですね。地域コミュニティーの崩壊も問題点として挙がります。

藤田:民生委員は今や常に欠員が出ている状況です。

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