そんなことがあるのだろうかと思う方もいるかもしれません。でも、似たような経験ならあなたにもあるかもしれません。例えば、親に「小さい頃、あんなことあったよね」と話した時に、「いや、そんなことはなかったよ。似たようなことはあったけどね」といわれたことがありませんでしたか。

 アドラーの回想から知られるように、ある記憶が事実でなかったり、事実だったとしても実際の出来事とは少し記憶の内容が違っていたりすることは往々にしてあります。それがなぜ起きるのかというと、「目的」があるからです。

 ある出来事を原因として、今の状態をその結果として説明する原因論は、必ず決定論になります。しかし、たとえどんな経験をしても、それによって運命が決定されることはなく、人は自らが創り出す目的によって、自分自身がその経験に縛られたり、逆に自由になったりするのです。

 理不尽な事件、事故や災害が起こった時、なぜこんなことが起こったかを考えないわけにはいきません。それでも、目を未来に見据えて、これからどうするか、これから何をすべきなのかという問いを発する必要があります。人は運命に翻弄される脆弱な存在ではなく、苦難を乗り越える力を持っているのです。

 過去の出来事に今の問題の原因を求めてみても、それで問題が解消するわけではありません。

 「あなたが悪かったのではない。あなたのせいではない」

 そう精神科医やカウンセラーはいってくれるかもしれません。そのようにいわれたら、楽になれるかもしれません。しかし、それではすまないのです。今の生きづらさを親のせいにしてみても、これから何ができるかを考えなければ一歩も前に進めないのです。

 過去に戻ることはできなくても、これからどう生きるかは自分で自由に決めることができます。

 これからどうすればいいかを考え、目を過去ではなく未来に向けていきましょう。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年7月8日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

この記事はシリーズ「もう一度読みたい」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。