また、今付き合っている人や結婚している人との関係がうまくいかなくなった時、パートナーとの対人関係の築き方に改善の余地があるとは考えず、過去に事故や災害を経験したことや、事件に居合わせたことが原因であると見るのは、自分の責任を棚上げにすることが目的です。

「過去」は「今の自分」が意味づける

 この過去にあるとされる原因すら客観的に存在しているわけではありません。その過去の出来事についての意味づけは、「今の自分」がしているのです。今の自分の「目的」に沿って、過去をどうにでも意味づけできるのが怖いところです。

 過去の出来事についての意味づけが変われば、過去そのものが“変化”しますし、なかった出来事さえあったように記憶されているということもあります。

 アドラーが自分自身の子どもの頃の回想を語っています(『教育困難な子どもたち』)。まだ5歳だったアドラーは毎日墓地を通って小学校へ通わなければなりませんでした。この墓地を通って行く時、いつも胸が締めつけられるようになりました。

 墓地を通る時に感じる不安から自分を解放しよう、と決心したアドラーは、ある日、墓地に着いた時、級友たちから遅れ、鞄を墓地の柵にかけて一人で歩いて行きました。最初は急いで、それからゆっくり行ったりきたりして、ついに恐怖をすっかり克服したと感じられるようになりました。

 ところが、35歳の時、1年生の時に同級生だった人に出会って、この墓地のことをたずねました。

 「あのお墓はどうなっただろうね」

 そのように問うアドラーに友人は答えました。

 「お墓なんかなかったよ」

 実は、この回想をアドラーは空想していただけだったのです。それにもかかわらず、この回想はアドラーにとって「心の訓練」になりました。子どもの時に困難を克服しようと勇気を奮い起こしたことを思い出すことで、その後の現実の人生における困難を克服し、苦境を乗り切ることに役立てたのです。アドラーは、課題から逃れるためではなく、課題に立ち向かうために、この墓場の記憶を創り出したのです。