しかし、このような「全体を描いた」モデルでは、各部分における企業や消費者の行動を、ある程度単純化する必要があります。そうしないと「部分同士」の整合性がとれなくなるからです。「部分」を単純化することで、代わりに「全体の構造」を見えやすくしているのです。

 このように「部分を厳密に理論化すること」と「『部分』の集合である『全体』の構造を理論化すること」は、ある程度トレードオフの関係にあるといえます。なかなか「木を厳密に見て、同時に森もしっかり見る」と都合良くはいかないわけです。

 そして、経済学よりも歴史の浅い経営学では、部分と全体のトレードオフは、はるかに顕著です。一般均衡のような理論も確立されていません。経営学者の多くは、それでも複雑な経営にひそむ真理を探究するために、まずは「部分の分析」に力を注いでいるのです。

経営理論が「全体を描ける」日は来るか

 数年前に、一橋大学の楠木健教授の書かれた『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)が大きな話題となりました。最近は拙著『世界の~』をこの本と比較して読んでくださる方もいるようで、光栄なことだと思っています。

 恥ずかしながら私は『ストーリー~』をまだ読んでいないのですが、ネット上の書評などを見て、なんとなくその背景は類推できます。それは、まさに「現在の経営学は部分を重視するあまり統合の視点が足りない」という問題意識を、楠木教授が持たれたからではないでしょうか(違っていたらすいません)。

 もしそうであれば、私はこの問題意識に大いに共感します。ここまで述べたように、現在の経営学が「部分」に偏りがちで、経営者の最終課題である「部分たちをすりあわせた1つの決断」のための理論が確立されていないからです。『ストーリー〜』が多くのビジネスパーソンに受け入れられたのも、このような背景があったからかもしれません。

 念のためですが、私はだから経営学は意味がない、と言いたいのではありません。むしろその逆です。

 第1に、経営の「部分」を分析していくことは、学問的にも、実務においても、意味のあることだと思うからです。木を見ずに森だけみるのでは、意思決定の何もかもを勘や経験則だけに頼ることになりかねません。経営理論に基づいた分析ツールや思考法を使うことは、経営者の「全体をまとめる」意思決定を助ける道標となるはずです。だからこそ、MBAの授業では理論やツールの勉強と、それらをまとめあげるケース分析が組み合わされているともいえます。

 そして第2に、プリム教授とバトラー教授がRBVを批判したように、経営学者もこの問題を乗り越えようとしていることもまた確かだからです。「部分と全体」のトレーフドオフに直面しながら、それでも「全体を描く理論」を生み出そうとする動きもあるのです。

 たとえば、バーニー教授の1991年論文では無視された「製品市場とリソース」の関係を明示的に取り込んだ研究が、その後多く発表されるようになっています。米ダートマス大学のマーガレット・ペテラフ教授らが2003年に『ストラテジック・マネジメント・ジャーナル』に発表した論文では、製品側とリソース側の両方を取り込んで競合他社分析をすることの重要性が議論されています。

 さらに、より広範に「部分をまとめあげる」手法として「叙述理論(Narrative Theory)」という考え方もあります。たとえば、オークランド大学のデヴィッド・バリー教授らが1997年にAMR誌に発表した論文では、まさにストーリーとして叙述しながら全体戦略をたてることの有効性が議論されています(楠木教授の『ストーリー〜』と底流にある考えは同じかも知れません。)

 このように、「全体をまとめあげる」ために有効な経営理論の探求は始まっています。経営学の知見をより実務に応用しやすくするために、今後のさらなる成果に期待したいところです。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2013年6月18日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

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