米国が転職の盛んな社会であることには皆さんも異論はないと思います。さらにいえば、米国では起業経験そのものを既存企業の人事が高く評価してくれることもあります。このような社会では、仮に自分が起業した会社を潰してしまっても、既存の企業に転職するという選択肢が豊富にあります。とくに名門校でMBAをとられたような人たちには、その経歴に加えて、卒業生ネットワークなどもありますから、転職オプションが充実しています。
すなわち、米国では法制度的に「事業がたたみやすい」だけでなく、起業家が「キャリアをたたみやすい」社会であるといえます。リアル・オプション的にいえば、キャリアという側面からも、不確実性に対してオプション価値が高いのです。「起業に失敗しても食い扶持に困ることはない」という背景があるからこそ、彼らは大胆にリスクをとって起業できるのではないでしょうか。
日本人の「キャリアのたたみやすさ」はどうか
ひるがえって日本はどうでしょうか。例えば私は日本で会社勤めをしていた十数年前、大手企業にいた同世代の友人や少し年上の方々が思い切って会社を辞めて起業するのを何度か見てきました。
その中にはそのまま成功されている方もいますが、他方で残念ながらうまくいかなかった方もいます。そしてさらに残念なのは、そういった方々の多くは自分が前にいた業界に戻りたがるのですが、なかなか受け入れ先が見つからなかったことです。
いま、日本の雇用の流動化を含めて、日本人のこれからの仕事のあり方が議論されているようです。私は労働経済学者ではないので立ち入って議論する力はありませんが、私見としては、労働市場が流動化されて転職がもっと自由になり、さらに起業にチャレンジした経験を人事担当者が評価できるような社会になれば、「キャリアのたたみやすさオプション」が充実し、それがさらに多くの方々を起業という選択に促すのではないか、と考えています。
そして実はそういった土壌は、日本でも少しずつできつつあるのかもしれません。例えば前述の『起業のファイナンス』の中で磯崎氏は、たとえ事業に失敗しても起業を経験した人たちが培ったセンスは、「形式にこだわらない企業では引く手あまた(22ページ)」だと述べています。私自身も日本の起業関係の方々と交流する中で、同じようなことを感じています。ぜひこの流れがさらに進んで、「起業をすることのオプション価値」がもっと高まってほしいものだ、と私は考えています。
いかがでしょうか。起業を活性化するための「たたみやすさの」の議論は、これまでも言われて来たことかもしれませんが、経営学ではこれをリアル・オプションの視点からとらえることができるのです。政策的にも重要なことかもしれませんし、さらなる研究の充実が望まれるところです。
(この記事は日経ビジネスオンラインに、2013年5月21日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)
以下の記事も併せてお読みください
-
2019年7月10日
もう一度読みたい
MBAの本は、なぜ進歩がないのか
経営学に貢献すべきは学者ではなくビジネスパーソンだ
-
2019年7月8日
もう一度読みたい
米国大学のウラ事情は、中国人が一番良く知っている
口コミで世界を席巻する「超国家コミュニティー」
-
2019年7月4日
もう一度読みたい
イノベーションが止まらない「両利きの経営」とは?
企業のトップこそ業界の外に学ぶ「知の旅」をしよう
-
2019年7月1日
もう一度読みたい
「高学歴プア予備軍」こそ、米ビジネススクールの博士号を目指せ
博士課程の学生受難の時代、海外の方が選択肢は多様
-
2019年6月26日
もう一度読みたい
ハーバードを見て米国のビジネススクールと思うなかれ
なぜポーター教授やクリステンセン教授は影響力があるのか
この記事はシリーズ「もう一度読みたい」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?