素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る
第2次世界大戦はグローバルロジスティクスの闘いだった
ロジスティクスという言葉は、軍事用語の「兵站術」をビジネス用語に転用したものだ。軍事や戦史に関して筆者は全くの素人ではあるが、その研究者や資料・文献から学んだことは多い。
とりわけ第2次世界大戦は、アメリカをはじめとする連合国と日独伊の枢軸国によるグローバルロジスティクスの闘い、「グローバル補給戦」だったと言われている。
それまでの戦争が基本的に決戦場における指揮官の采配や軍隊の士気に勝敗を左右されていたのに対し、第2次世界大戦では必要な兵隊と物資を決戦場に送り続けることのできたほうが勝った。作戦の優劣以上に兵站術が大きかったという評価だ。
そのため、戦い方としては、資源の調達から軍需工場での生産、そして決戦場に至るグローバルなサプライチェーンを高度化すると同時に、相手にはそれを許さない、敵のグローバルロジスティクスの弱点を見つけてそこを叩くというやり方が有効だった。
空港や港湾、軍需工場などに戦略爆撃をかけて使用不能にし、また軍事物資を運ぶ商船や兵隊を乗せた軍船を潜水艦で撃沈する。それによって主戦場に物資を供給できなくさせる。
日本軍になかった「グローバル補給戦」の概念
ところが、日本軍は真珠湾攻撃の奇襲に成功しながらも、そこにあった艦船を補修するための乾ドックや補給タンクには爆撃を加えずに放置した。そのことが後に仇となった。
1942年6月のミッドウエイ海戦で日本は大敗北を喫し、その後の主導権をアメリカに奪われることになるわけだが、真珠湾の乾ドックを潰しておけば戦局はまた違ったものになっていただろう。
日本はミッドウエイ海戦に「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の空母4隻を参加させている。一方のアメリカは、本来なら「エンタープライズ」と「ホーネット」の2隻の空母しか用意できないはずだった。
ところが当時の米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、その1カ月ほど前の珊瑚海海戦で被弾し戦闘不能状態にあった空母「ヨークタウン」を、真珠湾の乾ドッグに入れ、驚異的なスピードで補修して、ミッドウエイ海戦に間に合わせた。
空母は海戦における主戦力であり、その数的優位性は極めて重要だ。歴史に「たら・れば」はないとは言うものの、ミッドウエイ海戦における日米の空母の数が4対3ではなく4対2であったなら、戦いの様相が大きく変わっていたことは、多くの軍人・研究者の一致する見方だ。
さらに、日本が「グローバル補給戦」という概念で第2次世界大戦に臨んでいれば、連合国に勝つまでには至らなくても、負けないようにする、引き分けに持ち込むことはできたと分析する戦史家もいる。
ドイツ軍のクルト・フリッケ海軍軍令部長は1942年春に、当時の野村直邦海軍中将に共同作戦を打診している。連合国の補給ルートを一緒に断とうという作戦だった。
当時のヨーロッパにおける連合国の主力は、イギリスが中東に置いた65万人の部隊だった。地中海を枢軸国が抑えていたため、その補給ルートは大西洋側からアフリカ大陸をぐるりと回るほかなかった。
この補給ルートを潰せば、中東のイギリス軍は孤立する。そこで大西洋側のルートをドイツが叩くので、インド洋側を日本が叩いてくれという要請だった。
日本が担当するインド洋の海戦では、マダガスカル島のディエゴ・スワレスという軍港が決定的な要衝だった。ディエゴ・スワレスを基地にすれば、日本軍が連合国の補給ルートを断つのは容易と考えられた。
そして当時のマダガスカルはフランス領で、フランスはドイツの占領下にあった。日本軍はディエゴ・スワレスを利用できた。しかし、この共同作戦の申し入れを日本は断っている。
当時のインド、イラク、イランはすべて反英国家で、独立運動の最中にあった。中東のイギリス軍を追い出し、アジアの反英国家を見方につければ、日本とドイツは東西からユーラシア大陸をまたがって連結できた。
その結果、枢軸国が北極を挟んで北米大陸と対峙する形になる。その体制に持ち込まれたら、連合国はノルマンディー上陸作戦のようなヨーロッパ侵攻作戦を採ることがほとんど不可能だったという分析を後の戦史家は下している。
明暗を分けた「兵站計画」の有無
当時の日本はもちろん、ドイツにも北米大陸を占領する力はなかった。従って、第2次世界大戦で枢軸国が連合国に勝つ可能性はなかった。枢軸国の狙いは当初から「短期決戦・早期講和」だった。
日本とドイツの共同作戦が実現していたなら、そのチャンスはあったのかもしれない。しかし、日本はそうした戦略思想を全く欠いていた。ロジスティクス軽視は致命的だった。
太平洋戦争に突入する前夜の日本では、連合国のアメリカ、イギリス、オランダを相手とした戦争計画を、陸軍と海軍がそれぞれに立案し、毎年、天皇に上奏していた。
しかし、ロジスティクス計画についてはペーパー1枚が割かれていただけで、その中身も、「全国民が一丸となって節約に励み、物資動員に全力を注ぎます」といった、スローガンに近いのものだった。
一方のアメリカは1941年6月に、フランクリン・ルーズベルト大統領が当時の陸軍幹部に対して、枢軸国と戦争になった場合の詳細なロジスティクス計画を提出するように指示を出している。
その指令を受けて作成された兵站計画が、後に「ビクトリープラン」と呼ばれる第2次世界大戦の壮大な物資動員計画へと発展していく。
その計画は枢軸国がどのような戦略を採るかという分析からスタートする。そして連合国が枢軸国に勝つには、どれだけの兵員、武器・弾薬、物資を、どこに投入する必要があるのかを弾き出す。
さらに必要な物資はアメリカ内で調達できるのか。生産にはどれだけの期間がかかるのか。何隻の船が輸送に必要なのか。一つひとつ見積もって計画を詰めている。
その結果、連合国が枢軸国に勝つのは可能だという結論を下す。ただし、必要な物資が揃うのは1943年の半ばになる。そのため、連合国が攻勢をかけるのはそれ以降だという答申を出している。
それに対して、日本ではビクトリープランに相当するロジスティクス計画が、結局、最後まで策定されなかったようだ。
中央集権型から自律分散型へ
この第2次世界大戦の戦いのあり方は、今日のグローバル市場における企業間競争と重なるところが多い。
今日の企業は、最終的に商品を販売している市場の中での競争だけでなく、その商品を生産している工場、そして部品や材料の調達先まで、グローバルに広がったサプライチェーン全体での競争を強いられている。
何が競争の勝敗を左右しているのか、従来よりも広い視野から分析し、自社のサプライチェーンを強化すると同時に、可能であれば競争相手の弱点を突く。
キーパーツや稀少な資源を先に抑えてしまうことで、敵のサプライチェーンに打撃を加え、相対的な優位に立つ。そうしたビジネス上の“戦略爆撃”が実際に頻繁に行われている。
一方、今日の軍事戦争は、冷戦時代を経て「テロとの戦い」の様相を呈している。そこでは従来の国家間戦争におけるロジスティクスの手法が通用しない。
正規軍同士の戦争では相手の居場所と兵力が特定できるので、戦場がどこになるか、そのために補給線をどう敷くべきか、事前に計画を立てられる。
しかし、対テロ戦ではどこが戦場になるのか予測がつかない。そのため、アメリカの海兵隊は現在、必要な物資をできる限り自分たちで持っていく方向に動いているという。
ビジネスに当てはめれば、商流と物流を分離することでロジスティクスを効率化した“商物分離”を、改めて“商物一体”に戻していることになる。
それと並行して、突発的なテロ攻撃に素早く対応するために、現場への権限委譲が必要になっている。
目の前で事件が起きているのに、いちいち本部に指示を仰いでいたら対応が後手に回ってしまう。そこで部隊には行動原則だけを事前に示して、具体的な対応方法は現場の指揮官の判断に委ねる。
このコンセプトに米IBMは「アダプティブ(適応力)」というキーワードを与えて、ビジネスソリューションへの転用を図っている。
ERP(Enterprise Resource Planning、企業資源計画)が登場して以降の企業組織は、すべてのビジネス情報を中央に集め、それを基にすべての計画を中央で立案し、トップダウンで末端まで指令を下すという中央集権化が顕著だった。
しかし、それでは環境の変化に素早く対応できない。また、どんなに多くの情報を集めて、どれほど高度な解析エンジンを使っても、未来を見通すことなど不可能だ。
実際のビジネスは、予想外の事態に必ず直面する。その対応を最前線の現場のリーダーに判断させる自律分散型の組織に変革することで、変化への対応スピードを上げる。
勝敗のカギは戦略よりも兵站
戦史家のマーチン・ファン・クレフェルトは、その著作『補給戦――何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社)の中で、「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と言い切っている。
実は第2次世界大戦よりもはるか昔から、戦争のあり方を規定し、その勝敗を分けてきたのは、戦略よりもむしろ兵站だったという。端的に言えば兵士1人当たり1日3000kcalの食糧をどれだけ前線に送り込めるかという補給の限界が、戦争の形を規定してきた。そう同著は伝えている。
エリート中のエリートたちがその優秀な頭脳を使って立案した壮大な作戦計画も、多くは机上の空論に過ぎない。
現実の戦いは常に不確実であり、作戦計画通りになど行かない。計画の実行を阻む予測不可能な障害や過失、偶発的出来事に充ち満ちている。
史上最高の戦略家とされるカール・フォン・クラウゼビッツはそれを「摩擦」と呼び、その対応いかんによって最終的な勝敗まで逆転することもあると指摘している。
そのことを身を持って知る軍人や戦史家たちの多くは、「戦争のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る」と口にする。
ビジネスにおいてもまた、「経営のプロはロジスティクスを語り、素人は戦略を語る」と言えるのかもしれない。
■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「チェスター・ミニッツ大将」としていましたが、正しくは「チェスター・ニミッツ大将」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2010/10/19 13:00]
(この記事は日経ビジネスオンラインに、2010年10月19日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)
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