この連載では、米国ビジネススクールで助教授を務める筆者が、海外の経営学の最新動向について紹介していきます。
さて、私は2012年11月に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)という本を刊行したのですが、そこで大きな反響をいただいた話題の1つが、「米国とアジア各国などのあいだで『超国家コミュニティー』とでも呼ぶべきものが出現しつつあり、それが各国の起業活動の活性化や国際化に寄与している」というものでした。
知識はインフォーマルなものこそ重要
起業家が一定の地域に集積する傾向があることは、経営学ではよく知られています。米国ならシリコンバレーがその代表です。なぜなら、起業をするには、人と人が直接会うことを通じてしか得られない「インフォーマルな情報・知識」がとても重要だからです。文書のやりとりでは出てこないような「内輪の話」を得るために、起業家はシリコンバレーなどに集積するのです。
「今の時代はインターネットがあるじゃないか」という方もいらっしゃるでしょう。確かにインターネットのおかげで、今は世界中どこでも同じ情報が手に入りそうに思えます。しかし考えてみて下さい。みなさんが「これは新しい商売のネタになりそうだ」と思えそうな情報を仕入れたら、それをわざわざネットで文書にして公開するでしょうか。むしろ信頼できる知人と食事でもした時に、「ここだけの話だけど」などと言って打ち明けるのではないでしょうか。
このように商売のネタになるような情報は、人と人の関係を通じてしか得られない、口コミなどの「インフォーマル」なものが多いものです。さらに、いま起業が盛んなITやバイオ関係など知識集約型のビジネスでは、そもそも文書化が難しい、いわゆる「暗黙知」が重要になることも多いでしょう。
また、起業では優秀な人材を獲得することも重要ですが、こういった人材は別の人を介したインフォーマルな「つて」で知り合うことが多いですし、また直接その人に会って「目利き」する必要もあります。したがって多くの起業家はインフォーマルな情報、暗黙知、そして優れた人材を求めて一定の地域に集積するのです。
ところが、最近はたとえば米国のシリコンバレーと台湾、シリコンバレーとインドのバンガロールなどのあいだで、起業家やエンジニアが国境を越えてインフォーマルな情報・知識をやりとりするようになっています。これまではローカルだったインフォーマルな知識が、国を超越して行き来するようになってきているのです。
台頭する超国家コミュニティー
そしてその牽引役が「移民ネットワーク」であることが、最近の研究で明らかになりつつあります。
たとえば、米デューク大学の調査によると、1995年から2005年にシリコンバレーで設立されたスタートアップのうち53%は、設立メンバーに移民がいるそうです。このような人たちが米国で事業に成功して、やがて本国に帰り、その後も本国と米国を足しげく往復することで、これまでは一定地域に集積していたインフォーマルな情報・知識が、国境を越えて「飛ぶ」ようになってきているのです。
拙著『世界の~』でも紹介していますが、このような移民の起業家・エンジニア・研究者などが国境をまたいで活動することでインフォーマルな「超国家コミュニティー」が出現していることについては、米カリフォルニア大学バークレー校の社会学者、アナリー・サクセニアン教授の研究が有名です。同教授の著書「最新・経済地理学」や「現代の二都物語」(共に日経BP社)は日本でも出版されています。
そして経営学でも、超国家コミュニティーを介して(1)これまで遠くに「飛ばなかった」知識が国と国をまたいで移動・循環しつつあること、(2)国境を越えたベンチャーキャピタル投資が促進されていること、そして(3)超国家コミュニティーに関係している起業家ほど本国で輸出ビジネスを成功させやすいこと、などが実証研究の成果として発表されるようになってきているのです(詳しくは拙著をご覧下さい)。
ところで、超国家コミュニティーが興隆しているのは、起業分野だけではありません。実は、まさにアカデミックの世界、なかでも私がいる米国の「ビジネススクール業界」でその台頭が顕著なのです。
米国の大学業界を席巻するインド移民
2013年2月、米国の名門カーネギーメロン大学が、新しい学長として、現マサチューセッツ工科大学(MIT)エンジニアリング学部のスブラ・スレッシュ教授を任命することを発表しました。スレッシュ氏はインド・ムンバイの出身で、学部はインドの大学を卒業しています。
実をいいますと、私のいるニューヨーク州立大学バッファロー校の学長も、インド出身の方です。このように、いま米国のアカデミアでは、すべての学問分野がそうというわけではありませんが、インド系の人々の台頭がとても目立ちます。とくにエンジニアリング関係などはそうかもしれません。
そして、この状況はビジネススクール(経営学界)も同じです。インド人が席巻している、とさえ言えるかもしれません。たとえば、ハーバード・ビジネススクールの学長(ディーン)として2010年に就任したニティン・ノーリア氏は、米国の市民権は持たれていますが、そもそもの出身はインド・ムンバイです。実は、私のいるビジネススクールの学長もインド出身の方です。
さらにいうと、ビジネススクール内で私が所属している学科長もインド出身の方でして、私をヒラ社員とすると、上司である「社長、部長、課長」が全員インド出身ということになります。当ビジネススクールの卒業式では、この学長と学部長が壇上に立つわけですが、ビジネススクールの学生(大部分は米国生まれの米国人)に、インド出身の2人がインドなまりの英語で「おめでとう」といいながら修了証書を渡すのは、なかなか興味深い光景です。
みなさんも米国の有力大学のビジネススクールのホームページをご覧になれば、いかにインド出身の方が多いかお分かりになると思います。ちなみに私の場合は、博士号をとった母校の指導教官、今の共同研究のパートナー、仲良くしている同僚のいずれもインド出身です。(私の場合、特にインド人と親しくなりやすい個性があるのかもしれませんが)
そして、私の肌感覚では、インド人の次に米国のビジネススクール業界を席巻しつつあり、今後さらに台頭するのは中国人で間違いありません。それに韓国人と台湾人が続く、といった感じでしょうか。
次に米経営学界を席巻するのは中国人
実際、最近の米国ビジネススクールの教員や博士課程の学生に占める中国人を中心とした東アジア人(日本人を除く)の割合はすごいものがあります。たとえば、私は博士課程の授業で、教員・学生の全員が東アジア人かインド人で、アメリカ人は1人もいない、という状況を何度も経験しています(それでも授業はもちろん英語です)。
また、私のいる学科は少し前に新しい助教授をリクルーティングしまして、先日、候補者の1人である韓国人の方が当校に来て研究発表しました。そのときに発表会場に集まった教授・博士学生の総勢20人のうち、アメリカ人は1人で、残りは大半が中国人、そしてインド人と韓国人が数人、そして日本人(=私)という構成でした。思わず「ここは本当にアメリカなのか」と言いそうになってしまいました。
そして、これはあくまで私の肌感覚なのですが、インド出身の方と比べると、中国系の人たちの方が、同胞内での「インフォーマルなコミュニティー」をより活用している印象があります。
たとえば、私が数年前に米国で就職活動したときに会った某大学の中国人助教授は、全米の多くの有力ビジネススクールの助教授の初任給を把握しており、「○○大学より、この大学の方が給料はいいわよ」などと私に教えてくれました。全米のビジネススクールに多くの若手の中国人教員がいるので、彼らは同胞同士でそういう情報を普段から交換しているのだそうです。
情報戦は出願前から始まっている
実は、私は就職活動をしたときに、この中国人コミュニティーの情報にかなりお世話になりました。この連載の前々回で申し上げたように、米国の経営学界では日本人の教員や博士課程の学生がとても少ないので、アカデミア内での「日本人コミュニティー」がそもそも存在しません。私は、仲の良い中国人の友人が同じ時期に就職活動をしたので、彼から色々と中国人コミュニティーでまわっているインフォーマルな就職情報を教えてもらって役立てたのです。
そして、起業家のコミュニティー同様、この学者のインフォーマルなコミュニティーも、国境を越えるようになってきています。「超国家コミュニティー」が経営学のアカデミアでも生じているのです。
たとえば、私の友人の台湾人助教授によると、台湾では多くの学生が米国の博士号を目指すのですが、彼らの間では米大学院に出願する前から、たとえば「某M大学の経営戦略学科は、仲の悪いA教授の派閥とB教授の派閥に分かれていて、どちらの派閥に入るかで博士課程で生き残れるかどうかが違う」などといったインフォーマルな情報が交換されるのだそうです。私が10年前、日本から米国の大学院に出願したときは頼れる日本人がほとんどいなかったので、この話を聞いて「出願前からこんなに情報量で差がついていたのか」と愕然としたのを覚えています。
さて、アジアではいまビジネススクールの設立・拡大ブームです。そして特に中国や香港のビジネススクール・ブームを下支えしているのは、この「超国家コミュニティー」ではないか、と私は考えています。
香港の有力ビジネススクール(たとえば香港科技大学)や中国本土の有力ビジネススクール(たとえばCEIBS)のウェブサイトでそこにいる教員の経歴をみると、そのほとんどが欧米で博士号をとっており、中には米ビジネススクールでの教員経験がある中国人も少なくないことがわかります。
こういった方々は、今も欧米の経営学アカデミアとのつながりを保ち、両国を足しげく行き来しています。そして、欧米に今いる同胞の若手教授や博士学生とのインフォーマルなコミュニティーを通じて、世界の経営学アカデミアの動向や研究動向など、最先端のインフォーマルな情報を母国語でやりとりして、それらを自国に取り入れていると推測できます。
日本の大学はどう立ち向かうべきか
また、中国・香港のビジネススクールは資金力を生かして、いま大量の若手教員を欧米から採用したり、欧米の大物・中堅教授を引き抜いたりしています。このようなリクルーティング面でも、超国家コミュニティーを通じてのインフォーマルな情報が有用であることは言うまでもないでしょう。
私は、「日本の大学やビジネススクールも同じように超国家コミュニティーを育てるべきである」と短絡的には考えていません。たとえば欧州の有力ビジネススクールは、欧州内で比較的「完結した」コミュニティーの中でも競争力を高められているように見えます(それでも、最近は多くの欧州有力校が米国から教員を引き抜いていますが)。
しかしながら、もし日本の大学やビジネススクールがこれから国際化を目指すのであれば、当然ながらその主戦場はアジアになります。そしてアジアで競争するということは、こういう「超国家コミュニティー」の恩恵を十分に受けた大学・ビジネススクールと戦うことである、という点は念頭に置く必要があるでしょう。
(この記事は日経ビジネスオンラインに、2013年3月12日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)
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