日本企業に就職して3~4年たった頃、転機が訪れた。池袋でカラオケ店が売りに出ているのを知り、中国人向けのカラオケ専門店を開こうと思いついた。新華僑の留学生たちはカラオケ好きだが、日本人の店には入りにくい。中国語で歌える店をやれば、当たると思ったのだ。借金をして店の営業権を買い取り、2007年9月にオープンしたら、これが成功。同年12月からは中華料理店も始めた。2011年8月には中国製オートバイ部品の輸入販売にも着手。事業多角化に乗り出している。

人気の焼き小籠包店「永祥生煎館」

 池袋北口で人気の焼き小籠包専門店「永祥生煎館」を経営する徳永麗子さん(50歳)は中国上海市の出身だ。1988年に来日、中華料理店で皿洗いをしながら日本語学校に通い、卒業後は服飾関係の専門学校に進んだ。日本で勉強した後、中国に帰って商売したいと思っていたが、日本人の男性と結婚。一度は夢を諦めた。

 結婚後に日本と上海を往復しているうちに、上海名物の焼き小籠包を日本で売ることを思いついた。主婦になっても事業欲は衰えず、子育てが一段落した2009年12月に池袋に店をオープンした。食材にこだわり、中国人にも日本人にも合う味を追求した結果、売り上げが伸びた。上野、大久保にも出店し、チェーン展開を始めた。

新華僑のハングリー精神が作り出す世界同時現象

 池袋に新華僑の店が増えるのを見て、経営者のネットワーク化を図り、池袋駅を中心とした半径500メートルのエリアを「東京中華街」として売り出そうと考えた人がいる。在日歴20年を超える広告プロデューサーの胡逸飛さん(49歳)だ。経営者たちの賛同を得て、2008年に地元の日本人商店街に趣旨を説明した。ここで、大きな反発を買った。

東京中華街構想を提唱した胡逸飛さん

 中華街構想はすぐに挫折。胡さんは「池袋を国際的に売り出せば、街全体の活性化につながるのに」と残念がる。池袋西口商店街連合会の三宅満会長(67歳)は「人の街に来て、いきなり中華街はないだろう。まず商店会に入って汗を流してからでないと何も始まらない」と語る。胡さんは「構想を諦めたわけではない。日本人とコミュニケーションをとり、一歩一歩進めたい」と言うが、その後、両者の距離が縮まった形跡はない。

 中華街構想は実現しなかったものの、池袋でビジネスを展開する新華僑のパワーは衰えていない。世界の華僑社会に詳しい山下清海・筑波大学大学院教授は「海外に移住する新華僑は世界に広がり、欧米各地にニューチャイナタウンができている」と指摘する。ロサンゼルスやニューヨークに、老華僑が築いた従来のチャイナタウンとは別の新華僑のチャイナタウンが形成されているという。その波は欧州にも広がり、パリ、ローマ、バルセロナにもニューチャイナタウンが次々に出現している。

 池袋のチャイナタウン化は何も日本特有の出来事ではない。海を渡って起業を目指す新華僑のハングリー精神が作り出した世界同時現象なのである。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2012年6月13日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

まずは会員登録(無料)

有料会員限定記事を月3本まで閲覧できるなど、
有料会員の一部サービスを利用できます。

※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

※有料登録手続きをしない限り、無料で一部サービスを利用し続けられます。

この記事はシリーズ「もう一度読みたい」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。