「かんてんぱぱ」ブランドの中に「カップゼリー80℃」という商品がある。その名の通り、80℃のお湯で溶いて放置しておくとゼリーができるという商品だ。1981年に販売を始めたところ、大手スーパーから全国展開の話が舞い込んだ。全国販売が実現すれば、売り上げは一気に増える。幹部の誰もが賛成した。だが、塚越会長は申し出を断った。

低成長のためにスーパーの全国展開を拒否

 増産するには設備や人員を増強しなければならないが、販売が低迷した時、その設備と人を維持するだけの需要を作り出せるのか、疑問が残った。それに、急な拡大によって、品質管理が疎かになる可能性は否定できない。販売チャネルが1つに偏ることで経営のバランスを損なうことも考えられる。

 それよりも、業務用や家庭用など様々な分野の商品を開発し、生産拠点を分散させ、販売チャネルを多様化していく。その方が、バランスが取れた経営につながることは間違いない。「身の丈に合わない」。そう感じた塚越会長はあえて売らない道を選んだ。

 そんな塚越会長も2005年に訪れた寒天ブームの時は道を誤った。「寒天は体にいい」。テレビで紹介されたことをきっかけに、この年は寒天の需要が爆発的に伸びた。初めのうちは、「ブームの後の反動に苦しむだけ」と静観していた。

 だが、店頭から寒天が払底。治療の一貫で寒天を利用していた糖尿病患者や医療関係者、介護関係者から増産の要望が相次いだ。さらに、質の悪い中国産が流入し始めており、寒天の信用が傷つくのではないか、という恐れもあった。「増産するべき」。そんな社員の声に押されて、創業以来、初めて昼夜兼業の増産体制に踏み切った。その結果、売上高は前年比40%増、経常利益に至っては2倍に増えた。

 もっとも、ブームの反動はやはり大きかった。

身の丈に合った成長率を考える――それが経営者の役割

 2005年12月期に約200億円だった売上高は2006年12月期には176億円に減少した。この瞬間、創業以来続いていた48期連続増収増益が途絶えた。落ち込みはさらに続いた。2007年12月期には165億円、2008年12月期は159億円と3期連続の減収を強いられた。

 2004年12月期の売上高が146億円だったことを考えれば、前期の159億円でようやく巡航速度に戻った格好。ブームがなければ、年数%の着実な成長を実現していただろう。「今振り返っても忸怩たる思い。でも、逆に年輪経営の正しさがよく分かった」。塚越会長は振り返る。

「急成長は善ではない」。それが塚越寛会長の信念だ

 経営の目的は社員を幸せにすることにある。売り上げや利益は社員を幸せにする手段に過ぎない。会社の成長とは、「前よりもよくなった」と社員が感じること。そのために急成長は必要なく、低成長でも永続する方がいい。いわば腹八分。少し足りないという頃合いが企業の成長としてはちょうどいいのだろう。

 「適正な成長は業界によって違う。創業間もないベンチャー企業は若木同様、成長率が高くて当たり前。ただ、食品業界を考えれば、人口減少と高齢化によって確実に市場は減少していく。これ以上、胃袋は増えないんだ。その中で、急成長を目指したらどこかに無理が出るよな、普通は」

 「今話したのは食品業界であって、ほかの業界は状況が違うよ。海外市場を目指すという選択肢もある。でも、地球が有限であることを考えると、どこかで限界が来るのではないかな。みんな何となく5%成長、10%成長と言っているけど、自分の企業や業界に合った成長率を考えることが必要。それを考えるのが経営者の役割だと思う」

 終身雇用と年功序列は企業の競争力をそぐ。経済界やメディアはバブル崩壊後、こう批判してきた。多くの場合はそうだろう。現実に、苛烈なグローバル競争を生き抜く企業にとって、終身雇用をやめ、成果主義を導入し、固定費を削減することは必要なプロセスだったに違いない。

 だが、伊那食品工業の発想は全く違った。

 雇用の不安をなくせば、従業員は集中して仕事に励み、生産性向上につながる、と考える。取引先と正しい商売を続ければ、信用が高まり、結果として得をする、と捉える。地域社会に貢献すれば、会社のブランド価値が磨かれる、と見る。48期増収増益。同社の考え方が間違っていなかったという証左だろう。

 「非上場だから可能なこと」。そう批判するのはたやすい。実際、伊那食品工業が上場していたら、今のような経営は不可能だろう。だが、「会社は従業員を幸せにするために存在する」という伊那食品工業の基本原理は1つの真実。それぞれの立場で会社の意味を考えることが重要なのではないか。

 革新のエネルギーは人間の欲望である。飽くなき欲望があったからこそ、資本主義は発展し栄華を誇った。だが、時に欲望はバブルを生み、人々の生活に計り知れない衝撃を与える。人の欲望に箍(たが)をはめることは難しい。倫理を説いたところで、倫理で欲望を制御できる人間はそう多くはない。

 だが、どこかで欲望を制御しない限り、誰もが幸せに生活できる経済社会は維持できないだろう。持続する資本主義をどう構築するか。そして、継続して富を創出する会社をどう作るか――。「いい会社をつくりましょう」。伊那食品工業の経営に未来を見たい。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2009年4月13日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

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