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 伊那食品工業では毎年、利益の10%をR&D(研究開発)に振り向けている。食品メーカーだけでなく、外食産業、医薬品メーカー、化粧品メーカーなどに顧客が拡大しているのも、寒天を深耕し、可能性を広げてきたからにほかならない。

 1980年には家庭用商品にも進出した。家庭用ブランド「かんてんぱぱ」がそれだ。デザートゼリー、海藻サラダ、スープなど寒天を使った商品群である。商品数は約100種類。売上高の30%を占める商品に成長している。長野県と山梨県の一部でしか販売されていないため知名度は低いが、直販の顧客も数多くおり、全国に根強いファンを持つ。

 こうした研究開発や商品開発の結果、特許で60件、商品数で1000種類を超える商品を生み出した。品質の改善や安心安全の生産体制も他社に先駆けて作り上げてきた。寒天市場が縮小する中、伊那食品工業が一貫して業績を伸ばしてきたのはそのため。だからこそ、国内シェア80%、世界シェア15%まで成長したのだ。

社員の幸せを通して社会に貢献すること

 もっとも、こういった解説は会社の全体像を言い表しているとはとても言えない。この会社の強さは何か。その本質は会社の哲学、経営者の思想にある。

 この会社の社是は「いい会社をつくりましょう」。そして、この会社の経営理念は「社員の幸せを通して社会に貢献すること」である。この言葉を見ても分かるように、伊那食品工業が目指している世界は凡百の企業とは違う。重視しているのは社員の幸せと会社の永続。それを実現するために、持続的な低成長をあえて志向している。

 なぜ社員の幸せなのか。なぜ会社の永続なのか――。アカマツに囲まれた伊那食品工業本社。同社の会長を務める塚越寛氏(71歳)を訪ねると、問わず語りに話し始めた。

 「会社は何のために存在するのか。皆難しく考えるけど、オレにすれば難しいことなど何もない。人間すべての営みは人が幸せになるためにある。企業や組織、あらゆる団体は人間が幸せになるために作ったものじゃないのか」

塚越寛会長は赤字会社を寒天のトップ企業に育て上げた

 高校在学中、肺結核にかかった。人生で最も美しい青春時代を結核の療養生活に費やした。そして3年後、病気が完治すると、伊那市内の木材関連会社に拾われた。すると、1年半後、運命の糸に導かれるように、子会社だった寒天製造会社に送り込まれた。

 「どんなに儲けている会社があったって、従業員が貧しくて、社会に失業者が溢れていれば、それには何の意味もない。世界一売る小売りが米国にあるけど、従業員の10%近くが生活保護を受けているという。それで『エブリデイロープライス』。いったい何なのって思わないかい」

 この子会社は、当時としては珍しい粉末寒天を製造していたが、毎年のように赤字を垂れ流しており、銀行管理下で再建を始めたところだった。その赤字会社の再建役として見込まれたのだ。肩書は社長代行。齢わずか21歳だった。塚越会長は続ける。

 「会社の目的は売上高や利益を伸ばすことではなく、社員を幸せにしたり、世の中をよくしたりすること。売上高や利益はそのための手段でしかない。商品やサービスを通して社会に貢献していくのはもちろん重要だよ。でも、それは企業の役割の1つであって、すべてではない。会社はもっと露骨に人の幸せを考えなきゃいけない」

 赤字会社の経営を任された。人材はなく、技術もない。カネはもちろんないけれど、借金だけは山のようにある――。いわばマイナスからのスタートだった。だが、破綻寸前の赤字会社を立て直し、優良企業を育て上げた。今では、トヨタ自動車をはじめ多くの大企業が視察に訪れる。塚越会長は半世紀、経営者として時を刻んだ。そして、独自の経営哲学を磨き上げた。

 「そう考えれば、何も悩むことはない。会社はみんなが幸せになるためにある。それでいいじゃないの。経営者はもっと、会社のあるべき姿を考えるべきじゃないか」

「企業はもっと露骨に人の幸せを考えるべき」

 「企業はもっと露骨に人の幸せを考えるべき」。そう言い切るだけあって、伊那食品工業では社員にかなり厚く報いている。雇用の保障はその象徴だろう。

 研究者、営業、総務、経理、役員、レストランのシェフ、蕎麦店の店長、直売所の店員など、伊那食品工業では様々な部門で多くの人が働いている。総勢約400人。一部の例外を除き、そのほとんどが正社員だ。しかも、終身雇用であり、年功賃金である。

 終身雇用と年功序列はバブル崩壊後の十数年で多くの企業が捨て去った。だが、この会社では頑なに守り続ける。なぜ“時代遅れ”の人事制度を続けるのか。塚越会長の思想は明快だ。