「配置」と「抜かりなさ」
「タクティクス(tactics)」の語源は、「配置する」を意味するギリシャ語で、そこから「(兵の)配置」、すなわち「戦術」となりました。「タクティカル(tactical)」は「戦術的」ですが、「駆け引きがうまい」という意味もあります。
よく似た響きを持つ言葉に、「如才なさ」を意味する「タクト(tact)」とその形容詞で「気が利く」を意味する「タクトフル(tactful)」があります。これらは「触る」が元となった言葉です。
英語そのものを学ぶ時には「これらの言葉は似て非なるものだから気をつけましょう」と注意されます。一方で、ビジネスの現場では、それらのニュアンスはむしろお互いに混ざり合い、補完し合っているように私は感じられます。「タクトフル・タクティクス(気の利いた戦術)」なんていう言葉遊びをする人もいますが、それこそ気が利いています。
タクトフルとは、相手の立場に立ち、気持ちをよく理解し、時には先回りして効果的に対応すること。例えば、何かしてほしいと言わなくても、「これをしておきましょうか?」と言ってくれる。何かがなくて困っている時に、「これが要りますか?」と横から差し出してくれる。何をすべきか迷っている時に「これはどうでしょう?」と気がつかなかった点を指摘してくれる。
こんな人がいてくれれば、どんなに仕事が進むでしょうか。そして、それでこそ戦術も遂行できるというもの。気が利かなければ戦術も台無しなのです。
「気がつく人」は多いけれど「気が利く人」は少ない
「気がつく人」はそれなりにいるのですが、さらに適切なアクションが伴わないと「気が利く人」にはなれません。しかも「出すぎた真似」にならない程度に。しかし、そんなことができる人は決して多くはありません(ちなみに、私も家庭内では「気が利かない人」の代表だそうで、「今度連載で『気が利く』について書くよ」と言ったら「気が遠くなる」と言われました)。
タクトフルであるということは、その「場」と「時」の状況に適した行動を取れるということですから、大所高所というよりは個別具体的な判断です。タイミングも決定的に大切ですから、ある種の勘の良さも必要です。
現場に立脚していることを、英語ではハンズ・オン(hands-on)と言います。「きちんと手を置いて」という意味です。具体の「体」、立脚の「脚」、ハンズ・オンの「手」。アタマの中だけで考えたのではなく、体にも脚にも手にもきちんと神経が通っており、確かな感触を確かめながら「手を打つ(take action)」ことです。
「現場に精通して、細部において手抜かりなく、上司や顧客のニーズに先回りして応え、競争や交渉の相手とはうまく駆け引きしながら」仕事を遂行すること――。それが、タクティクスというという言葉について私が現場で感じてきたニュアンスです。
かつての上司が言った「ワラライのタクティクス」は、まさに「戦術」としてのタクティクスと「手抜かりなく」のタクトが混ざり合ったような言葉だったなぁと今にして思います。タクティクスとタクトのニュアンスは良い意味で響き合っているし、またそうであるべきなのだと私には思えるのです。
ただ、「ワラライ」の印象が強すぎて、私は本の中では混同して書いてしまいました。「2つの似て非なる言葉だけれども、実際の使われ方では響き合っているように思う」のが正確なところですので、この場を借りてお詫びとともに訂正させていただきます。文字通り「生兵法(生煮えのタクティクス?)は怪我のもと」と、改めて自戒しています。
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