そして、私が『世界の~』を執筆しようと思った動機の1つもここにあります。

 たとえば、私の本の中で何度か登場するコロンビア大学のブルース・コグート教授は、世界中の「タイプ1」の経営学者がリスペクトする大研究者です。彼が国際学会で発表するといえば、それだけで会場は多くの学者たちで埋め尽くされます。

 しかしながら、このコラムを読んでいるみなさんの中で、コグート教授の名前をご存じだった方は果たして何人いるでしょうか。

 もちろん、たとえば最近では、『リバース・イノベーション(ダイヤモンド社)』を執筆したダートマス大学のヴィジェイ・ゴヴィンダラジャン教授のように、「タイプ1」の研究者として査読論文でも素晴らしい実績をおさめつつ、一般書籍を書かれている方もいらっしゃいます。しかし、やはり日本のビジネスマンのあいだでの知名度は、ポーター教授やクリステンセン教授にはかなわないのではないでしょうか。

 「タイプ3」の教授たちの素晴らしさはすでに世界中で知られています。しかし、ここまでお話ししたように、実はそういった方々は(それが良いことか悪いことかは別にして)米国の研究大学の中では少数派といえるのです。

 他方で『世界の~』で私が紹介しているのは、米国の上位のビジネススクールで大半を占めながら、日本のみなさんにはほとんど知られていない「タイプ1」の教授たちが、知の競争(=査読論文の競争)の世界で発表している研究の数々なのです。

3種類の教授のバランスがビジネススクールの命運を握る

 誤解のないようにしていただきたいのですが、私はどのタイプがいいとか悪いとか言っているのではありません。おそらくこの3タイプのいずれもがビジネススクールの発展に欠かせないのだと思います。

 たとえばビジネススクールは「専門職大学院」ですから、「タイプ2」のような教育に注力する教授の存在は、他の学部・大学院よりも重要でしょう。しかし、そこで語られることが学術的な根拠に基づかない経験則や逸話だけでは、果たしてそれが「経営の真理に近い」といえるのかわかりません。その意味でも、「タイプ1」の経営学者が社会科学的な方法で発展させている経営理論や事実法則を教育に還元して行くことは重要なはずです(少なくとも米国ではそう考えられています)。

 さらに経営学の「実学」としての役割を重視するなら、このような知見を広く世のビジネスマンに活用してもらう「実社会への啓蒙・貢献」も、ビジネススクールの役割の1つのはずです。その意味で「タイプ3」の教授の役割は他の学術分野以上に重要なのかもしれません。

 逆に言えば、この3タイプの教授の「バランス」をどうとるかは、ビジネススクールの位置づけや方向性を大きく左右するともいえます。ビジネススクールの第1の資産は、やはりそこにいる教授であると思うからです。

 たとえば、世界のビジネススクールを牽引しているのは今でもHBSである、ということに異論を唱える人は(少なくとも米国では)少ないでしょう。HBSの授業法は他のビジネススクールの多くの教員が参考にしていますし、世界中のビジネススクールでHBSが作成した企業分析のケースが授業に使われています。同校の教授陣が多数寄稿している『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌が世界中の多くの実務家に愛読されていることは言うまでもありません。

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