ただ私がここでお伝えしたかったのは、ドラッカーを読まなくても、コリンズを知らなくても、米国のビジネススクールのアシスタント・プロフェッサー(助教授)は務まる、という事実なのです。

 では、なぜこのような事になるのでしょうか。

 その最大の理由は、「世界の~」でも書いたのですが、やはりドラッカーは名言ではあっても科学ではない、ということに尽きると思います。

 現在、米国の経営学は「社会科学になる」ことを重視しており、そのために「企業経営の真理の探究」を目指しています。そのために必要なのは、しっかりした経営理論の構築と、その理論から導かれる仮説を、統計分析や実験などのなるべく科学的な方法で検証することだと考えられているのです。ドラッカーは名言かもしれないけれど、科学的な裏打ちがないので、米国の経営学者は参考にしないのです。

世界中で普及する経営学の「科学化」

 そして、この「科学を目指す経営学」というトレンドは今世界規模で急速に普及してきています。

 たとえば、国際的な経営学会の規模は年々拡大しています。世界最大の経営学会であるアカデミー・オブ・マネジメントの2012年の年次総会には世界85ヶ国から9300人を超える経営学者が集まりました。3~4年前の参加者は8000人以下でしたから、この勢いだと1万人を超えるのはすぐでしょう。

 このような国際的な学会や学術誌での知識交流を経て、「科学を目指す経営学」の標準化が世界中で急速に進展しつつあるのです。 

 さて前置きが長くなりましたが、今回と次回ではこの「ドラッカーを読まない米国の経営学者」という前提を知っていただいた上で、書籍では書けなかった議論に踏み込んでみようと思います。

 それは、私のような駆け出しにはやや大胆なテーマですが、世界の、そして日本の「ビジネススクールはどうあるべきか」という話題なのです。

 この大きなテーマを理解していただくために、まずは議論の背景をお話します。それは米国の大学について、です。

 米国の大学というのは、非常におおまかにいって2種類に分かれます。それは「研究大学」と「教育大学」です。前者は教育だけでなく研究を重視する大学で、後者は教育のみに注力します。

 米国には現在2774の四年制大学がありますが、そのうちで「研究大学」と呼ばれる大学はほんの一握りです。そして日本でも比較的名の知られているような大学は、研究大学であること多いのです。

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