なぜいつも「鍵を掛け忘れた」と思うのか~不幸を招く極度心配性~
株式会社「脳の学校」の加藤俊徳社長 医師・医学博士に聞く
朝、出勤するため家を出た後で、「鍵を掛け忘れたかもしれない」との不安に頻繁に襲われる――。そんな会社員は少なくないのではないだろうか。忙しい朝の時間帯だけに確認のため家に戻るのは煩わしい。だが万一、本当に戸締りできていなければ、空き巣に入られる危険性もある。一部の人特有の「単なる心配性」と思うなかれ。2013年10月、日経ビジネスが実施した消費者1000人調査では、「今後、企業に開発して欲しい商品は」という問に対し、25.1%、約4人に1人が「外出先から戸締りを確認できるシステム」と回答した。程度の差こそあれ、少なからぬ人が同じ現象に悩まされている様子が伺える。
職場のストレスなどで生来の心配性が悪化したのか、それとも加齢で脳の一時記憶が減退してしまったのか。とりわけ中高年であれば大抵身に覚えがあるはずの「鍵を掛け忘れたかもしれない症候群」の原因と対策を、脳の専門家に聞いた。
(聞き手は鈴木信行)
そういうわけで先生、あの現象は一体何なんなのでしょう。1度や2度ならまだしも、頻繁にそう思うのは、やはり精神や脳に何らかの異常が出てきた兆候なんでしょうか。
加藤 俊徳(かとう・としのり)
1961年、新潟県生まれ。株式会社脳の学校代表、加藤プラチナクリニック院長(港区白金台)。昭和大学医学部大学院卒業。日米で医師としての研究・臨床活動の傍ら、独自のMRI脳画像鑑定技術を構築、胎児から超高齢者までヒトの脳を1万人以上分析。現在、個人の脳機能特性をMRI鑑定、企業組織への脳適性アドバイスも。著書に「アタマがみるみるシャープになる脳の強化書」(あさ出版)等、業績・論文多数。
加藤:いえいえ、全くの正常です。健康な脳の人であれば、誰でも自然にそうなります。極めて単純化して説明しますと、人間は便利なもので、同じ作業を習慣的にこなしていると、脳の中に「自動化システム」が形作られる仕組みになっています。そして、ひとたびシステムが出来上がると、無意識にその行動が出来るようになる。出社前に鍵を掛けるのも、エアコンを消すのも、ガスの元栓を閉めるのも、すべて習慣化された行動ですよね。だから、しばらく同じ所に住んでいれば、出勤前の多くの行動は自動化される。ただ、それらはいずれも、脳が“自動的”にやったことですから、家を出た10分、20分後に、ふと気になって思い出そうとしても、なかなか思い出せないんです。
己の大脳をもっと信じよ
なるほど。
加藤:自動化システムが完成するまでは、しばらくしてからでも思い出せるんです。例えば、引っ越した直後で新しい住まいに慣れてない頃は、誰でも「ガスの元栓はどこだったかな」「照明のスイッチはここだったな」とか意識しながら、出勤の準備をしますよね。こういう時期は、会社に着いてからでも、「ああ、確かに戸締りしたな」と記憶を呼び出せる。その仕組みをやや専門的に言うと、習慣化作業の学習過程においては、新しい環境で作業をする際に小脳と海馬、大脳が連動しながら活発に動いていて、その結果として行動がより鮮明に記憶に刻まれる。ところが環境に慣れ自動化が進むと、大脳だけで作業ができるようになるんです。習慣的作業はどんどん大脳主体になり、海馬や小脳がさぼっても、不自由がなくなります。
そうやって小脳や海馬が“やる気”をなくし、大脳に任せっぱなしになった状態でやったことは、人はいちいち覚えてない、という理解でよろしいですか?
加藤:簡単に言うとそうです。
だとすれば、朝、出勤するため家を出た後で、ふと「鍵を掛け忘れたかもしれない」との不安に襲われても大抵は大丈夫ということですか。自分は覚えていなくても大脳がしっかりやってくれている、もっと己の大脳を信じよ、と。
加藤:現役世代の方であれば、そういう考えでいいと思います。
脳も健康である、と。
加藤:むしろ「電気を切り忘れたかも」と心配になって「1度、家に戻った方がいいかな」などと思案を重ねていること自体、脳が正常な証拠とも言えます。本当に脳に異常が出てくるとそういう思考自体しなくなりますから。
なるほど。理屈の上では納得しました。が、だからと言って全部“大脳任せ”にするのも不安、と感じる人もいると思われます。脳の自動化システムが100%確実に仕事をしてくれるとは限らないでしょう。実際、鍵の掛け忘れによる空き巣はなくならないわけですし。
加藤:そういう「滅多に起きない事」まで悩んでしまう過剰に心配性の方は、自動化システム云々の前に、まず心配性そのものを改善させるという方法があります。誤解なきよう言っておくと、未来のことをあれこれ想像すること自体は、実は悪いことではありません。むしろ脳が成長するきっかけになる。でもその結果、ほぼ100%起きない事にまで「現実になったらどうしよう」と恐れるのは得策ではありません。人生の可能性を狭めてしまい、幸福を遠ざけてしまいます。
そういう方は、将来起こり得る事態をあれこれ想像するだけでなく、その状況がどのくらいの可能性で起きるか、順位を付けてみるといい。例えば、今日起こり得ることが3個思い浮かんだら、それをランキングし、2位以下は「有り得ない事」として切り捨てるのをルールとする。そんな頭の整理をするだけでも心配性は随分改善します。
「鍵の掛け忘れ」より「上司の小言」を心配せよ
朝、家を出て駅について3つのことが脳裏をよぎった、と。1つは「鍵を掛け忘れたかも」、次が「電車が事故を起こすかも」、最後は「出社したら上司に小言を言われるかも」。この場合は、最後の小言対策に絞り込め、というわけですか。
加藤:まあ、そういうことです。
つまり、1回まとめると「鍵を掛け忘れたかもしれない症候群」への処方箋は、「脳の自動化システムが作動しているから大丈夫」「心配事の大抵は杞憂に終わるから安心しろ」の2つだ、と。
加藤:さらにもう少し確実に、「確かに鍵を掛けてきたぞ」という安心が日々欲しければ、もう1つ、方法があります。あえて「自動化システムを脳に作らせない」という手です。
どういうことでしょう。
加藤:脳の自動化システムは、同じ環境で同じ作業をしていると次第に出来上がります。逆に、違う環境で違う作業をしているとなかなか自動化は進まない。だから、出勤前の作業も故意に違う作業にしてあげればいいんです。例えば、昨日空調を切って、テレビを切り、照明を切り、ガスの元栓を確認したとすれば、今日は照明→ガス→テレビ→空調とパターンを変える。そうすると脳にとっては“新しい作業”ですから、行動する際に小脳と海馬もしっかり活動する結果、しばらくたっても覚えています。
なるほど。ただ、それを毎朝するのは結構面倒ですね。
加藤:でも、出勤前に限らず、脳の自動化システムに頼らないことは、認知症防止や脳の若返りのためにとても大切なことなんですよ。第1次産業に従事する方が、高齢になっても若々しい理由は何だと思われますか。
それはやっぱり、体を動かしているから?
加藤:それもあるでしょう。でも脳科学的に言うと、「常時、自動化システムに頼らず常に小脳、海馬、大脳を総動員して仕事をしているから」という答えになります。漁師さんなどはその典型で、潮の流れにせよ風向きにせよ、海には「厳密に以前と同じ環境」など存在しませんから、毎日、“違う作業”をしなければならない。そうやっていつも自然と向き合っているからいつまでも若いし、元気で、認知症にもなりにくい。
それは、話を聞いて安心しました。我々雑誌作りに携わる人間も同じことが言えますよね? 毎日違う人に取材して、違う切り口の記事を、違うレイアウトで書いているんですから。認知症にならずに済みそうです。
悲報「雑誌作り」は別にクリエイティブではない
加藤:それについてはどうでしょう。取材や執筆という仕事でも“自動化”できる部分は少なくありません。例えば、毎日違う人に会うと言っても、20年もやっていれば、取材に行く相手はだんだん似通ってくるはずです。性格や見た目の印象を含め、同じような人の所ばかり取材に行くようになってはいませんか。
確かに…。
加藤:取材の仕方やインタビューのパターン、核心部分の聞き出し方などだって、1つの得意な型が出来ているはずです。
それも確かに…。
加藤:さらに言えば、このコラムだって毎回テーマは違えど、文体や構成、見出しの立て方などは似ていませんか。
…。
加藤:記者や編集を“自動化”しないためには、毎回、違う人に会って本当の意味で違う切り口で編集作業することが必要です。例えば、自分が得意でない分野の、自分が得意でないタイプの相手にどんどん取材に行く。そうすると、知識不足や相性の悪さなどから取材先で怒られたりして、ストレスが溜まります。でも、そこで初めて、何とか環境に即時対応しようと脳が自動化システムに頼らず動き出します。問題点にぶち当たってそれを乗り越えるのは、まさに脱自動化の作業なのです。
苦手な分野、相性が合わなさそうな取材対象ですか。『ウシジマくん』に登場するような方々に、市中のカネの流れについて聞きに行くとかですか…。
加藤:編集仕事に限らず、「自然を相手に仕事をしている人」以外の方は、実は日々の仕事が想像以上に“自動化”しやすいんですよ。よく奥さんが専業主婦の会社員が「妻は毎日、掃除、洗濯、子供の世話と同じ仕事だけしていればいいから気が楽でいい」といった愚痴をこぼしますよね。でも、あれは大間違いで、むしろ主婦の仕事の方がよほど“自動化”しにくい。子供が飲み物をひっくり返す、近所トラブルが起きる、下水が詰まる…。大小様々なハプニングが毎日起こり、仕事環境が日々めまぐるしく変わります。主婦の生活は“脱自動化の生活”なんです。それに比べて会社員はどうでしょう。
中間管理職より主婦の脳の方がずっと偉い
それはきっと主婦どころじゃないはずですよ。毎日、様々な課題が生まれて、それに対処して。とりわけ中間管理職の大変さと来たら。
加藤:本当にそうでしょうか。そう言いながら、かなりの部分を“自動化”していませんか。部下から出された原稿を…。
右から左へ流し…。
加藤:定例会議に…。
何となく出席し…。
加藤:社内向け資料を…。
テンプレートに当てはめて作る。確かに、多くの仕事が“自動化”されている気がしてきました…。
加藤:脳の自動化システムを上手に作れる人は、効率的に作業ができるから、会社では一定の評価を得やすいのも事実です。実際、様々な仕事を同時並行でこなせるような人材は、脳の中に沢山の自動化ネットワークを構築しています。
でも、その自動化システムに頼ってばかりいると…。
加藤:脳が育たなくなり、次第に仕事でブレークスルーすることができなくなってしまいます。
ある程度の所まで順調に出世してきた人が、一定以上のポジションになると急に伸び悩むなんていう話をよく聞きますが、脳の仕組みから考えれば、明快に説明できることなんですね。
加藤:そうです。
「鍵を掛け忘れたかもしれない症候群」の原因から、高齢になっても脳を育むコツまで、一通りよくわかりました。取材の本題はこれで終了ですが、せっかくですので、脳に関する全く別の質問をしてもいいですか。
加藤:何でしょう。
夢というのは一体何なんですか。毎日のように見ていますが、行ったことのない場所や、やったことのない経験が次々に出てきて、過去の記憶のフラッシュバックとは到底思えません。前世の記憶的な、スピリチュアルな解釈をする人がいますが、確かにそうでなければ説明できないような内容も多いと思うのですが。
夢は前世の記憶か、それとも…
加藤:なるほど。でも、残念ながら、夢は前世の記憶などではありません。夢の中に出てくる大女優も異国の街も、その人が必ずそれまでに人生のどこかで、見聞きし、脳に刻まれたものです。
でも、夢に登場するアイテムが過去の記憶に由来するものだとしても、そのアイテムを紡ぐ“脚本”はどこから生まれてくるのですか。
加藤:それは、実は専門家の間でも見解が分かれる未解明部分です。脳はいまだに様々な謎を秘めたパーツなんです。今回のテーマである記憶だって海馬や小脳がその形成や保持に関連することは分かっていますが、詳細は定かではない。カナダの著名脳外科医、ワイルダー・ペンフィールドなどは、「脳の記憶は脳にない」という趣旨の言葉を残しました。脳は映写機である、と。
脳が映写機で、記憶が脳にないとすると、肝心の記憶はどこにあるんですか。
加藤:異次元ということになりますかね。
……。先生、今日の取材はそれこそ大脳から小脳まで脳を使い過ぎてしまいました。夢の話はぜひ次回と言うことでお願いします。
(この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年3月27日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)
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