人体実験を実施する直前で終戦
実際に人体実験をしていたら、東京裁判(極東国際軍事裁判)にかけられていたかもしれません。玉音放送を聞いた時に真っ先に思ったことは、裁判にかけられないように、生き延びなければということでした。何とかして身を守らなきゃいかんなということしか、考えられなかったですね。諏訪湖に実験設備を放り込んで逃げたことを覚えています。

東京裁判を免れた私は、その後、半導体の研究に身を投じました。ノーベル賞を受賞したことでも知られるベル研究所(米国)のジョン・バーディーン先生ら3人とは、同じ分野の研究者として終戦前から文通していましてね。終戦後に復職した神戸工業(前身が川西機械製作所、現富士通テン)から派遣されて、アメリカで真空管の勉強をしていたある日、バーディーン先生から電話がかかって来たんです。「お前、こっちに来ているんだったら、俺のところに遊びに来いよ」と。
再会してお互いに、「長い戦争が終わってよかったな」と喜びましたね。戦争中にどんなことをしていたのかと言った話になり、バーディーン先生は戦時研究で様々な鉱石を調べさせられていて、そこで「不思議な石を見つけた」と言うんです。将来、これが大きなものになるぞと。
これが後に世界最初のトランジスタに使われるゲルマニウムでした。
世界初のトランジスタ電卓を開発
それは面白いな、我々もやらないかんと、検討が始まりました。当時、私が働いていた神戸工業には、後にノーベル賞を受賞する江崎玲於奈くんもいて、政府からの補助金も得て研究を始めました。そして、神戸工業は日本で最初にトランジスタを生産した会社となりました。
その後シャープに転職し、新たなMOS(金属酸化膜半導体)と呼ばれる半導体を設計しました。MOSの特徴は、大幅な小型化が可能なことです。
ただ、日本のメーカーに製造をお願いしても、歩留まりが不安定だと言ってどこも見向きもしてくれない。そこで米国に渡って協力メーカーを探しましたが、米国でも理解されない。辞表を出すことを覚悟して帰国の飛行機に乗ろうとした時、空港の館内放送で私の名前が呼ばれたんです。
一度は私の提案を断ったロックウェルのアイストン社長が、土壇場で考え直してくれた。ヘリコプターが空港まで私を迎えに来ていて、ロックウェルの事業所に飛んでいきました。シャープが1964年に発売した世界初のトランジスタ電卓「QT-8D」は、このロックウェルが生産したLSI(大規模集積回路)を使ったものです。
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