潜水艦「Uボート」に乗ってドイツを脱出
研究していたのはウルツブルグという都市にある大学で、そのレーダー技術は「ウルツブルグのシラミ」と呼ばれていました。シラミと名付けられたのは、動いている爆撃機が髪の毛の中に紛れ込んだシラミのように、真っ白になったレーダーの画面上に映し出されるからです。技術的には簡単なものでしたが、日本はそれに気がついていなかった。

ウルツブルグのシラミという技術を学んで、いざ日本に戻ろうとした時、独ソ戦 が始まってもはやシベリア経由では帰れなくなってしまいました。そこで、キールという軍港から、ドイツの潜水艦「Uボート」に乗って逃げたんですよ。
その時、キール港には少人数だけが乗れる小型のUボートが1隻しかありませんでした。その艦長が、私を逃がしてくれたんですね。
どこをどう通って日本にたどり着いたのかは分かりません。本当に分からない。でも何とか横須賀港にたどり着くことができました。それまで、週に一度だけ、敵がいないことを確認して海面に浮上して、シャツなんかを洗濯して潜望鏡のところに掛けて干したりしたことを覚えています。
その間、どこかの島に油を補給しに寄ったことだけは間違いないと思います。岩があって、サルがピョーン、ピョーンと飛び跳ねていましたから、おそらくマダガスカルではなかったかな。航海中はそんな面白い話がいろいろとありましたよ。
登戸研究所で「殺人光線」の研究に動員
日本に戻ると、私はすぐにまた動員されました。今から思えば、大本営は米軍が上陸してくることを恐れていたのでしょう。いろいろなことをやらされました。連合軍に潜水艦から上陸されるのを防ぐために、追浜(神奈川県)の海軍航空隊と協力して、電灯線を外してそのワイヤを追浜や湘南海岸から水中に入れて電波で縞模様を作り、潜水艦が侵入してきたらすぐに察知できるようにしたりね。
終戦の時は、登戸研究所で殺人光線の研究に動員されていました。研究に立ち会った私のほかに、2人ほど専任の研究者がいたでしょうか。大本営はマイクロウエーブを人間に向けて照射すれば兵器になると考えたんですね。海岸線に4kmごとにその兵器を設置して、上陸されるのを防ごうと考えたようです。実際、犬や猿の頭や肛門に寒暖計を刺して、どの温度まで上がったら死ぬかと実験していました。
終戦間際になって研究所は諏訪(長野県)に移転しました。大本営からは早く実験を成功させろと急かされており、私もそこに移動させられたんです。行ってみると、そこで最後に米国人の囚人を使った実験をする計画まで用意されていました。終戦を迎えたのは、その実験をする直前でした。
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