上海、北京、天津にすら抜かれる香港

 いま一度、仮設に戻ろう。もしSARSとアジア通貨危機が香港経済を直撃しなければ、中国は、もっと段階的に香港の「中国一体化」を進めたかもしれない。だが、香港がそれを必要としたがゆえに、中国は劇薬であるカンフル剤を投じた。はじめその効能に酔った香港人は、今はむしろ依存と副作用に苦しみ、対中感情を悪化させてしまった。

 そうこうしている間に、香港の、中国経済における重要性が相対的に低下してしまったことも大きい。かつて中国本土全域と比較しても圧倒的な経済規模を誇っていた香港も、本土各都市の経済成長に追われ、2009年には上海に、2011年には北京にGDPで抜かれている。2015年には天津にも抜かれると見る専門家が多い。

 上記のように香港経済は中国経済を必要とし、今や依存してしまっているが、逆に中国経済は香港経済をそれほど必要としなくなりつつあると言っていいだろう。もちろん、「中国の一部でありながら英国の法体系、コモンローによる法治と自由主義が守られた地域」である香港の、貿易や金融の結節点としての役割は今も大きい。ただし、上海で実験的に始まっている経済自由区がさらに規制緩和や開放を進めて力をつけて来れば、そうした優位性も相対的に低下する可能性もある。

 この香港の地位の相対的低下が、中国政府の香港に対する姿勢をやや乱暴なものにしているような印象を受ける。噛み砕いて言うなら、中国が強く、香港が弱くなったことで「なぜ香港だけを特別扱いしなければならないのか」といった意識が強く出始めているのだろう。上記の「反中意識」の高まりが、香港人をして、マナーの悪い本土客を「イナゴ」と呼んで蔑視するような風潮にも繋がり、蔑視される側に「苦しい時に助けてやったのに、中国人を差別するとは許せない」とといった感情が生まれても不思議ではない。

 中国政府が6月前に公表した「香港特別行政区における『一国二制度』の実践(香港白書)」は、そうした中国政府の強硬な姿勢をよく物語るものだった。白書はこう釘を刺した。「香港特別行政区の高度の自治は、完全な自治ではなく、地方分権的な権限でもない。中央指導部の承認に基づき、地方を運営する権限である」。あえて香港返還記念日である7月1日を前に公表されたこの高圧的な白書は、香港の民主化運動についても「誤った動きがある」と牽制している。

 こうした高圧的な中国政府の姿勢が、香港人の鬱積する不満に火をつけたのだ。

 では、拳を何に向かって振り上げるべきか。香港を脅かす上海の自由区がどれだけ背伸びして自由経済を導入しても、決して手に入れられないもの。中国にはなくて、香港だけが手に入れられる可能性があるもの――民主主義であり、「真の普通選挙」を勝ち取ることで、香港人は香港のアイデンティティを取り戻そうとした。

 なぜ生活の困窮という「経済」問題が、民主化デモという「政治」闘争に繋がったのか。その答えが上記のメカニズムだ。つまり、香港経済の悪化、すなわち香港人の生活環境の悪化が、その原因を作った中国に対する感情の悪化を招き、相対的な地位の低下によって喪失したアイデンティティーを取り戻すべく「中国にはない」民主主義を求めるデモが激化した。

 世論が冷却してしまったのも、経済問題という「動機」と、民主化という政治的「要求」の間に(感情的には上述のような因果関係はあっても)乖離があったためだろう。「民主主義の進展こそが香港のアイデンティティーを取り戻す道だ」という論理にすべてを賭けられる理想主義者はデモに走り、「民主主義によって生活が好転するとは思えない」と考える現実主義者はデモに反対した。

 その乖離を言説によって埋めることができなかったことが、デモが世論の支持を失い、力を失っていくその敗因だったのだろう。

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