(この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年12月1日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです)
香港デモ――2017年に実施される予定の行政長官選挙において、制限付きでない「真の普通選挙」の実施を求める民主派による道路占拠デモは、11月25日から26日にかけて、ひとつの山場を迎えた。
25日朝、香港島と九龍半島各所に拡散したデモ隊のうち、最も強硬派が多いと見られる旺角(モンコック)で、警官隊らによるバリケードの強制排除が始まった。デモ隊と警官隊が睨み合い、怒号や罵声が飛び交う中、バリケードやテントが次々に運び出されていった。
逮捕された若き学生リーダー
まず排除されたのは、旺角の中でも亞皆老街(アーガイルストリート)30メートルほどに構築されたデモ拠点の一部だった。夕刻から夜にかけて、亞皆老街から押し出されたデモ隊が近辺の細い路地に入り込み、ここで警官隊と激しく揉み合う事態となった。深夜には衝突が激化し、警官隊は催涙性のある液体をデモ隊に向けて噴霧した。現地報道によれば、100人を超える逮捕者が出た。
その翌日、亞皆老街と直角に交わる彌敦道(ネイザンロード)でも強制排除措置が取られた。やはり激しい揉み合いが発生し、学生団体「學民思潮」の主催者・黄之鋒氏も逮捕された。
彌敦道は、数百メートルに及んで占拠されていた旺角における最大のデモ拠点だ。常時数百人から千人以上の若者がここに集まり、テントで寝泊りし、時に演説に耳を傾け、時に民主化を求める歌を歌った。24時間、喧騒の途絶えることのない若者らによる「不夜城」だった。また黄氏は、かつて中国による「愛国教育」が香港で強制されることに反対し、デモを主宰して中止に追い込んだ立役者であり、若干18歳にして今回のデモの精神的支柱の1人だった。彌敦道の“陥落”と黄之鋒氏の捕縛は、60日間にも及んだ香港デモの「終わりの始まり」を感じさせる。
11月28日追記:黄氏は27日に身柄を解放された。ただし、釈放ではなく保釈。旺角一帯に立ち入ることも禁じられている。
各種世論調査の結果を見ても、既に香港世論は「道路占拠デモ継続反対」に傾いている。10月初旬に実施された香港中文大学の調査では、デモへの「支持」(37.0%)が「不支持」(35.5%)を上回っていたが、11月初旬に実施された香港理工大学の調査では実に73%がデモ継続に「反対」という意見だった。長期化するデモは、渋滞を引き起こすなど香港社会に不便を強いつつ、成果の展望がないものとして受け止められつつあった。
世論の支持を失えば、社会運動はたちどころに力を失う。
デモが激化し、警官隊が催涙弾で強硬的に鎮圧を試みたのが9月28日だったので、道路占拠は、11月25日で実に「58日間」に及んだ計算になる。無抵抗の学生らに催涙弾を放った香港政府の強硬策は世論の怒りに火をつけたが、記憶と衝撃も日に日に薄れた。9月28日の失敗――警官隊の催涙弾によってデモが拡散し、強化されたことを考えれば、香港政府自身にとっても無益どころか有害な強硬策であり、明らかな誤謬だった――を踏まえ、世論が逆転するこの機を待って、いよいよ香港政府が「力」に訴え始めたというわけだ。
しかも9月28日とは異なり、今回の執行は「司法」の判断を踏まえている。
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