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 事故の発生直後から、赤十字社群馬県支部の看護師たちは活動を始めている。生存者確認の第一報が、上野村に置かれた前線本部に入ったのは、8月13日午前11時のことだった。ところが、現場上空を自衛隊やマスコミのヘリが飛んでいて、救援のヘリがなかなかそこへ入り込めない。

 11時に見つかった生存者のうち、8歳の女の子と12歳の女の子が上野村に到着したのは、発見から3時間近くも経ってからだった。

春山は叫んだ。そして「救われました」

「本当に危ないなと思いました」

 容態を見て愕然としたのは、看護師として生存者を受け入れた春山典子だ。女の子たちの体は泥で汚れ水に濡れ冷え切っていた。

 前線本部では十分な処置ができないと判断し、別の町の総合病院へヘリで搬送することになった。

 特に、8歳の女の子は予断を許さないほど危険な状態だった。声をかけると反応するがまたすぐに力を失ってしまう。どうしても、12歳の女の子の方は後回しになる。

「だけど、すごく気丈な女の子だったんですね。こちらが『小さい子のほうが大変だからちょっと我慢して待っててね』というと『分かりました』、本当にこっくりして頷いてくれて」

 ヘリで二人は藤岡市内の病院に到着。春山は「どけー。どいて、どいて」と廊下に声を響きわたらせて治療室へ運び込んだ。

 その後、二人は順調に回復し、12歳の女の子は19日に入院先の病院で取材に応じるまでになった。その最後で彼女は「いろいろ励ましてくれたので、くじけずに頑張りたいと思います」と語っていたが、春山はまた別の捉え方をしている。

「頷いてくれて、協力してくれて、本当に救われました。私が救われました」

看護師の春山典子は「生存者に救われた」と振り返る

 春山は、看護師である自分は事故の生存者に「救われた」と捉えているのだ。そして、カメラマンの伊藤は、自分のした仕事をスクープとは思っていない。功名心はない。

「まったくありません。そういう気持ちはありません。生存者がいた。それだけですよね。その現場に私がいる。それだけです」

(文中敬称略)

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2015年8月11日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)