ニュアンスは「多様な主体が関与すること」

 ただガバナンスには「隠れたニュアンス」も存在します。単体ではなく複合語として登場する「ガバナンス」に含まれるニュアンスです(本稿で登場した複合語の多くはここ数十年の間に登場しているので、比較的に新しいニュアンスと言い換えることもできるかもしれません)。そのニュアンスは「誰が」「何のために」の部分を観察すると理解できます。

 第1の注目点は「誰が」の部分。コーポレートガバナンスでは、古典的には「経営者」が主体でしたが、最近では「多様な利害関係者」が主体と見なされるようになっています。またグローバルガバナンスでは、「国家」のみならず「国際組織・企業・NPOなど」も主体と見なされるようになりました。このようにガバナンスの主体は、徐々に幅広い立場を指すようになっています。

 第2の注目点は「何のために」という部分。例えばコーポレートガバナンスでは「不祥事の防止と収益力の増大」が大きな目的でした。またグローバルガバナンスでは「国際社会の様々な課題を解決する」ことが目的でした。このどちらとも「社会の中でより良く行動する」という目的で一致しています。

 つまり、これらの複合語で登場するガバナンスは「多様な主体が組織のより良い行動を促すために行うもの」というニュアンスを持っていることになります。これに対して古典的な意味のガバナンス(統治・支配)は「支配者が独善的に行うもの」というニュアンスを伴う場合があります。

 まとめると、ガバナンスの中心的意味は「何らかの主体がその組織の意思決定や行動をコントロールする」こととなります。一方、ガバナンスの隠れたニュアンス(特に複合語で登場するガバナンスのニュアンス)は「より良い行動を促すため、多様な主体が関わること」だと言えます。これこそが「統治」や「支配」という訳語が取りこぼしているニュアンスの正体です。

 ここで冒頭に示した共同通信の論説を思い出してみましょう。「従って今回の(原発)事故は、こうした技術システムの『ステークホルダー(利害関係者) 』たる住民のことを意識し、そこに思いが至らないと、決して解決できるものではない。そして、技術システムが結び付いている現在社会のガバナンスそのものを考え直す契機をもたらすだろう」。

 筆者はこの主張について、次のように解釈しています。

 「政府や東京電力のみならず住民も主体となって(誰が)、安全なエネルギー利用環境を構築するために(=何のために)、原子力発電やそれを利用する社会のあるべき姿を考え直す(=何を、どうやって)契機なのではないか」と。

 今、日本社会に求められている行動は、狭義の「独善的なガバナンス」ではなく、ここで説明したような「多様な主体が関与するガバナンス」なのではないか。筆者が共同通信の論説を読んで抱いた感想です。

 (この記事は日経ビジネスオンラインに、2011年4月14日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)

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