2014年11月7日に社会保険労務士試験の合格発表があった。社会保険労務士とは、労働関連法令や社会保障法令に基づく書類等の作成代行等を行い、また企業を経営していく上での労務管理や社会保険に関する相談、指導を行う事を職業とする資格であり、それを職業とする者をいう。略称として「社労士」や「労務士」とも呼ばれることもある。
筆者は士業・コンサルタント専門の独立・起業アドバイザーという職業柄、この資格には非常に注目している。2014年は受験申込者数5万7199人(前年6万3640人、対前年10.1%減)、受験者数4万4546人(前年4万9292人、対前年9.6%減)、受験率77.9% (前年77.5%) 、合格者数4156人(前年2666人)、合格率9.3% (前年5.4%)という結果になった。社会保険労務士の受験業界からは「例年より易しくなった(合格基準が甘め)」という声が多く聞こえる。
社会保険労務士試験の過去10年間のデータの推移。毎年5万人以上が受験を申し込むという大変人気の資格だが、合格率は約10%と甘い試験ではない。
図に、過去10年間の社労士試験の合格者数や合格率の推移についてまとめた。特に2013年の合格率5.4%は突出して低い数字で、なるほど易しくなったという声が聞こえるのもうなずける。
しかし合格率が9.3%に高くなったといっても、おおよそ10人受験しても9人は落ちるという大変厳しい試験だ。試験は年に1回。8月の第4日曜日に行われる。税理士試験にあるような科目合格はなく、労働基準法、労働安全衛生法 、労働者災害補償保険法、雇用保険法 、労働保険の保険料の徴収等に関する法律 、健康保険法 、厚生年金保険法 、国民年金法、労務管理その他の労働及び社会保険に関する一般常識と多岐にわたり、それぞれに基準点がある難関資格の1つだ。
社労士受験コンサルタントで『ハルの社労士受験 半年・一発合格の極意』(日本法令)の著者である大沢治子氏によると、この資格を合格するために要する勉強時間は800~1500時間程度。受験者は30代から50代の男性が大半を占めているため、この年代の正社員の時給を低めに2000円(年収400万円程度)と設定して計算しても、勉強時間が800時間なら800×2000円で160万円。1500時間かかったとしたら1500×2000円で300万円。勉強の代わりに働いていれば、これだけの金額を得られたはずの時間を費やしていることになる。
もちろんこの金額には参考書や問題集にかかる費用は入っていない。仮に資格予備校に通い(独学は少数派)、模擬試験(年に平均で4~5回)などを受け、合格までに数年要すると仮定すると、その費用は平均的な会社員の年収を超える計算になる(もちろん、ほとんどお金を掛けずに合格する人も少なからず存在するが)。
上司や同僚との付き合い酒も断って、週末の家族のレジャーも犠牲にして、そして汗水たらして働いた給料の中から大金を費やし、10人中9人落ちる資格試験にチャレンジする。この地獄の受験時代を乗り切って、晴れて社労士という国家資格のプラチナチケットを手に入れた結果、果たして夢のような世界が広がるのだろうか。
資格予備校の広告には「社会保険労務士 平均年収800万~1000万円以上」などと魅力的に書かれている。もちろんこの金額やそれ以上稼いでいる社労士も、多く存在することを筆者は知っている。
しかし、それは氷山の一角であり、資格を取り、勤めていた会社を辞め、独立した結果、年収が半減したなどというケースが決して珍しくないのだ。それどころか、年商100万円(月収でも年収でもなく)に満たない、開業社労士も少なくない。社労士の名刺を持ち、社労士会の集まりや勉強会に参加しながら、実際はサラリーマン時代に蓄えた貯金を切り崩し、それが底をついてくると、家族を養うために肉体労働や単純作業などのアルバイトで生計を立てる。そんな方の一部が、筆者の元にアドバイスを求めにくることが、最近増えている。
また最近は、社労士になっても簡単には稼げないという風潮も広がっているようだ。前述の試験データを見れば、相変わらずに人気試験ではあるものの、受験申込者数は2010年をピークに減り続けている。
稼げる社労士と稼げない社労士の差は?
では、年間で1000万円を超える収入を得る社労士とアルバイトで食いつなぐ社労士との差は一体何なのだろうか。彼らを見てきて1つ分かったことがある。それは「成功するもしないも、コンサル・スキルと営業力次第」ということだ。
稼ぐことのできない社労士は、クライアントからの難しい依頼に対して、杓子定規に法律を持ち出し「ダメなものはダメなんです…」などと語る。一方で稼ぐ社労士は、「そこを何とか!」と言われれば、専門家のスキルを駆使してコンサル力を発揮し、クライアントである中小零細企業の社長を本気で守る姿勢を見せる。
クライアントとの情報格差があったため、昔の社労士は知識と経験(値)だけで食べていくことができたかもしれない。しかしインターネットが普及した現在は、法律の知識だけならグーグルやヤフー知恵袋でいくらでも無料で調べられる。だから、専門的な知識があるのは当たり前として、そこにコンサルタントとしての応用力と行動力が無くては、その他大勢の社労士になってしまうのだ。
もちろん、国家資格は打ち出の小槌ではない。資格はライセンスであり、それ自体がお金を生むものでもない。それどころか、社労士の地位を守るために(社会保険労務士と名乗り続けるために)、各都道府県の社労士会に毎年10万円程度の会費を納め続けなくてはいけない(会費は各都道府県によって異なる)。これはもちろん売上・利益があってもなくてもかかるマイナスのキャッシュフローだ。そしてこの会費が払いきれず、またはばかばかしくなり、社労士会を辞めて(脱退し)社労士でなくなる人も少なからず存在する。
社労士などの職業はサラリーマンと違って定年はなく、それなのに毎年、資格の合格者は数千人単位で増え続けているという現実もある(今年2014年も4156人が増えたことになる)。少ないパイを多くの同業者が奪い合うのだから、考え抜いた戦略や戦術、マーケティングスキル、そしてコンサル・スキル無くして競争に勝つことはできないのだ。
さらに社労士の中には「この資格だけでは食べていけない。だから行政書士を勉強してダブルライセンスを目指す」とか、「司法書士や弁護士だったら…」などと、稼げないことを保有資格のせいにする人もいる。せっかく、10人に1人という、難関試験に合格したにも関わらずだ。そんな方には「あなたがおっしゃっていることは、ラーメン屋では食べていけない。だからフランス料理店を始めたい。とおっしゃっていることと変わらないですよ」と筆者は答えるようにしている。仕事が取れないのは、食べていけないのは資格自体に問題があるのではなく、あなたのやり方(ビジネス)が悪いのだということだ。すなわち、営業力が欠けているのだ。
成功したいなら営業体験をしろ
真面目に社労士資格取得のために受験勉強をして、開業を目指す会社員の多くは、経理や総務、人事など企業の間接部門で働く方が多い。しかしそういった人は、開業前に1年でいいので営業職をリアルに体験することをお勧めする。例えば勤めている会社で営業部に異動願いを出す。又は合格後、派遣でもアルバイトでもいいので営業として働いてみる。特にフルオミッションの飛び込み訪問販売などはいい。その度胸と図々しさが身につけば、国家資格の権威がのちに必ず役に立つはずだ。
実際に『社労士絶対成功の開業術・営業術 開業1年目で年収1000万円を達成する!!』(インデックス・コミュニケーション)の著者で人事コンサルタント兼、社会保険労務士の内海正人氏は開業前、総合商社の子会社で法人営業や債権回収業務に従事していたという。また、『女性社労士 年収2000万円をめざす』(同文舘出版)の著者である長沢有紀氏も独立前に信託銀行の窓口業務でトップセールスを記録した経験があるそうだ。この2人は筆者の古くの友人だが、そのバイタリティーと人間力は、国家資格を持っていなかったとしても十分ビジネスで成功する器である。
それでも「営業経験はないし、今さら営業のバイトなどやりたくない」という方は、専門のコンサルティング会社が主催するセミナーや研修を受けるなど、最低限のマーケティング知識や営業ノウハウ、そしてコンサル・スキルを開業前に身につける必要があるだろう。
ちなみに社労士資格は独立・開業しなくとも企業内で「勤務社労士」として活動することもできるが、日本の会社の多くを占める小規模企業や零細企業では、転職の際、社労士資格はプラスにならず、むしろマイナスに評価されることもあるという。労働基準法などに詳しい社員は、経営者として、上司として「扱いづらい」というのが本音なのだそうだ。やはり、社労士資格を取得したならば、開業の道を目指すのが得策であろう。
社労士について、やや悲観的に書いてきたが、先の内海氏はこう言う。「世間では社労士は儲からないとか、食っていけないなんて言われているようだが、そんなことはない。私の周りの同業者はそれなりに稼いでいるし、私だって地価の高い西新橋にオフィスを構えて社員も雇っている。それに中小企業の社長から、トラブルを解決してくれてありがとうございました、先生のお蔭です! などと心から喜ばれるこの仕事に、私は誇りを持っている」。このように、リアルに活躍し、その仕事に使命感を持っている社労士の方も多くいるのも事実だ。
使命感のある方が、国家資格である社労士を目指すのは適している。ただし、使命感だけでは、上記の稼げない社労士となることが目に見える。営業力とバイタリティー、そしてコンサル・スキルを身につけることが必須なのだ。
松尾昭仁(まつお・あきひと)
士業・コンサルタント専門の独立・起業アドバイザー
ネクストサービス代表取締役
大学卒業後、業界大手の総合人材サービス企業を経て、コンサルタントとして独立。自身が企画し講師を務めるビジネスセミナーの参加者は延べ8000人を超え、その中から400人以上の各種講師や、100人を超えるビジネス著者を世に送り出す。著作は20冊。執筆した本は中国、韓国、台湾、タイ王国でも翻訳出版されている。京都女子大学などの高等教育機関、東京商工会議所を初めとする各種団体やリクルート、明治安田生命などの民間企業より講演・セミナー、研修依頼を受ける。主な著書は『
稼ぎ続ける人の話し方 ずっと貧乏な人の話し方』 (青春文庫)、『
コンサルタントになっていきなり年収650万円を稼ぐ法』(集英社)、『
セミナー講師で稼ぎたいと思ったら読む本』(KADOKAWA 中経出版)など。
(この記事は日経ビジネスに、2014年11月20日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。)
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