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「子供がいたら人生の邪魔になる」という意識が問題

 思春期教育にしても、今はだいたい「高校生の間だけは子供をつくらないようにしてくださいよ」というようなことが重点的なことなんです。でも「いのち」に畏敬の念を持たせるのが本来じゃないですか。「子供がいたら子供に邪魔されて、自分の人生が面白くない」という今の考え。これが一番の大きな問題なんですよ。

 最近は離婚も増えているといいますね。私はこれも、自己中心的な考えの結果やと思うんです。人のために我慢することができなくなっている。若い夫婦で親の干渉がないように、関係をほぼ切っているような人も多いですね。こういう人は学はあるのかもしれんけど、それは見せかけの賢さや。子供のために自分はどうしたらいいか、ってことを考えられないんや。

 結婚の適齢期はないけど、子供を産む適齢期は絶対あるんや。国の人口でいうたら、女性が25歳から35歳ぐらいまでに3人か4人産むのが望ましいわけでしょう。この期間に女性が他のことを気にせず、出産や育児に集中できる環境を作らなければいけません。子供というのは神の意思でなかったら、なかなか授かれんです。それを「やっぱりもうちょっと楽しんでから結婚しようか」という人が増えたでしょう。子供も「つくる」って言うようになりましたね。でも年いってからあわてて子づくりしても大変ですよ。

山の中で取ったお産

 今の人が当たり前のように思っているお産の仕方とか、家族のあり方は、私の時はまるで違ったんです。

 私は1945年の8月15日に天皇陛下の言葉を聞いて、そこから故郷の和歌山に戻りました。それまでいた大阪の家が焼けて、どんなになるか分からんようになりましたのでね。でも、その時にもう8年も大阪にいたので、また戻るつもりなもんだから、しばらくふらふらしとったんです。

 終戦直後はもう国内の医療はめちゃくちゃでしてね。とにかくお医者さんが少なくて、ものすごく忙しい。私んとこの近くは本当に年のいった、ヒョロっとしたおじいさん先生がいらっしゃったんですけどね。私が保健師の免許を持っていたので、親戚に「お前、ちょっと手伝ってあげてくれんか」と言われてね。「遊んでいるやさかいに、どうってことないわ」と引き受けたんです。

 その先生が借りていた民家の縁側に長い椅子を置いてね。そこで診察もし、お薬も渡して。そんなのしながら、お産を見たんです。

 取り上げについては、そういう見識がある人たちがどこの集落にもいたんです。お産婆さんみたいなね。村のどこの集落にもいて、私もお産を手伝いに行ったら、村のそういう人が4~5人はやっていましたね。当時なんて、そんなもんですよ。

 その人たちのアドバイスを受けて、「それはあんた、こんなんした方がええのと違うか」とか「あんな方がええ」とか、今まで自分らがやってきたことを教えてくれるんです。そういう状態でお産をして、自分もだんだん成長したわけですね。昔なんか、1人で5人も7人も産んだ人がいるわけですから、その人たちの体験は頼りになりますよ。

 田舎のことですから、奥さんもみんな畑とか山の仕事もしとるわけです。山の中で急に産気づいたと聞いて、山の中で取り上げたこともありますよ。お湯はたき火で沸かして、電気だってないから明かりはランプでね。赤ちゃんは近くのおうちに担ぎ込むんだけど、田舎のことだから一番近くでも何百メートルもある(笑)。でもしょうがないからそこまで運んで沐浴させて、後で胎盤の処理をして帰ったりね。

 私も2人産みましたけど、生まれる前の日まで自転車に乗っていましたね。お産して1カ月ぐらいたったら、もうおんぶしていって、お産の最中は寝させておいて、生まれたらまたおんぶして帰ってくる(笑)。産気づいたと聞くと、夜も街灯も何もないで山の中を自転車で行って、朝帰ってくるというような、そういう生活を何年も続けました。