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「出産の喜び」が減ってはいないか

 自然出産は苦しい時もありますよ。それを最後までやり通す親が少のうなっている。今の痛みに対して、最後まで頑張れる親が少なくなった。でもそれは逆に、子供が生まれた喜びを減らすことになるんじゃないですか。

 「ああ、かわいい」と、本当に子供を愛おしく感じることが少なくなったんかなと思うんです。その気持ちが義務的になったと言ったらちょっと語弊があるかも分かりませんけど、人工的なものに人間がなじんできた。そんなふうな感じがしますね。

 お産が病院の仕事になって、帝王切開率も上がってってなると、最後のこの10センチの骨盤を何とか越えようと、越えさせようとする親子が、減っているということです。動物の生まれるというプログラムを無視してでも、自分が楽になりたいという気持ちになってきつつあるんですよ。

 お医者さんばかりがあかんというわけではありません。今の若い人たちはものすごく、医療の目から見た妊娠、出産というのを考えてます。私らの頃に比べればみなさん学歴もあるから「こうすれば問題ないはず」って気持ちがあるんですよね。「病院に行ったら勝手に産ませてくれる。お医者さんが産ましてくれる」っていう気持ちもあるでしょう。すごく、物事が計画通りに進むという意識があるんやと思います。

 だからそこで何か予想外のことが起きたときに、ものすごく大げさに事を言い立てて、すぐに裁判に持っていく。「帝王切開するのが遅かったのと違うか」とかな。そしたら医者の方も、例えば手術してもあかんかも分からんような赤ちゃんも、少しでも心音の残っている間に切って出そうとする。

生まれたら死ぬのが定め

 でも、生きるための根本の力が欠けていれば、それはそれまでの命です。それまでの命の子供は絶対に息はしませんよ。そのまま死んでいく。

 今の人たちはそんなの考えられんでしょう。でも人の命というものは、生まれたらあとは死ぬしかないんです。何歳で死ぬかは自分も誰も分かりませんよ。私も3人目の子を流産しましたけれども、いつかは必ず死ぬということが、人間の体に必ず起こってくる出来事です。こればっかりはどうしようもない。

 私の助産所で、死産というのは一回もないんです。これは別にうちがすごいとかじゃなくて、妊娠中に「あ、これはひょっとしたらこの子供はどこかに何かがあるのと違うか」と思ったら、病院へ送りますからね。

 それでも、私はいつもきっちり皆さんに説明するんです。「生きる、死ぬということは私たちには分からん」とね。親御さんにそれを受け止める気持ちを持っていただかなかったら、私たちも仕事はできんわけですから。

 お医者さんも2人、3人ぐらい裁判を持ったら、もう仕事をする意欲がなくなるんですって。それでもうお産はやめやと。お医者さんも追い詰められているんですよ。だから、なによりも「無事に産ませる」ことを考えるんです。でもそうすることで、両親も赤ちゃんも、何か大事なものを経験しないままに進んでいってるんと違いますか。